「内観」は、吉本伊信先生(故人)によって、50年以上前に、始められました。
浄土真宗の「身調べ」という修法が元になっているそうですが、一切の宗教色が排除されています。
「身調べ」は、断食、断水、断眠で、行われたそうです。
結婚する前、20代後半で、2回集中内観を行いました。
昨年、今年と、2年連続で、北陸内観研修所にお世話になりました。
今回、人生で、4回の集中内観研修を行ったのですが、内観をすればするほど、
「人生とは、まさにカオスである」
と、実感します。
7泊8日の集中内観で、人生に対する見方が、180度変わってしまう人がいます。
例えば、「集中内観研修 2020年9月 内観と病気の治癒」のブログに登場した、お医者さんの河野先生のような方です。
人は、誰でも、人生の旅人として、根本的な疑問を抱えています。
・物心がつく以前、どのように生きてきたのか、覚えがありません。 ・物心ついてから、大人になった現在でも、自分自身が何者なのか、本当のところ、よく分かっていないといってよいでしょう。 ・自分の人生に、何時終わりが来るのか、分かりません。 ・あるのは、ただ「今」という時と、五感(眼耳鼻舌身意)と、第六感の直感、そして自分という意識だけです。
人によっては、自分を探す旅を始めて、本来の自分を求める方もおられます。
世の無常や、人の死を見て、無常観を持つ方も、多いと思います。
人は、殺生をしないと、生きていけないので、罪悪感を持っておられる方も多いでしょう。
「内観」することで、見えてくるのは、「人生というカオス」です。
人生の中のある場面は、どういう訳か、鮮明に、記憶に残っています。
例えば、母親が毎朝、朝ごはんを作ってくれた時の包丁のコツコツという音は、今でも、まるでその場にいるかのように、思い出すことができます。
父親にひどく叱られたことなど、特に、生々しく記憶に残っている出来事は、何度も、何度も思い出されます。
そうした忘れがたい事件を、内観によって見つめていくうちに、フッと気づきが起きることがあります。
「ああ、そういうことが、原因だったのか。 このことに気付くために、何度も、何度も、この光景が心に浮かんできたのか。」
その時の両親の思い、両親が苦しかった状況などが、一瞬で分かることがあります。
そのようなインスピレーションによって、親に対する見方が、180度変わってしまう場合があります。
こうした大きな気づき、小さな気づきが、積みあげられていくうちに、「人生というカオス」の霧が晴れていきます。
そして、大きな覚醒に導かれると、一瞬で、自分が、そして、自分の人生が変わってしまいます。
そこに、人生の不思議を感じ、人生を、カオスと言わざるを得ないのです。