ミャンマー情勢

ミャンマー人の友人 ひとりごと

先日(R3/10/23,24)に、別荘旅行で車の運転をしてくれたミャンマー人の友人から聞いた現在の「ミャンマー情勢」のお話です。

 

ミャンマー人の友人

 

日本では、ミャンマーのことは、あまり報道されていないようです。

昨日(10/25)に、ランチのために入ったカフェで、マスターにミャンマーの軍事政権の話をすると、マスターは、次のように、おっしゃいました。

「そういえば、最近はミャンマーの話はあまり聞かないな。」

私は、最近、あまりTVを見ないので、日本のマスコミが、どれくらいミャンマーについて報道しているのか分からないのですが、一般の日本人の間では、ミャンマーの軍事政権のクーデターのことは、忘れられているようです。

そこで、彼から聞いたちょっと生々しい、「ミャンマー情勢」について、このブログを通じて知っていただきたいと思いました。

日本で働いている、一人のミャンマー人のお話として、聞いていただければ幸いです。

彼と知り合ったのは、10年ほど前のことです。

私は、ご縁があって、外国人の就職を支援するイベントに、雇用する側の企業として参加しました。

その時、彼と出会いました。

「パソコンが大好き。」という彼の言葉を聞いて、雇うことにしました。

その時、彼は三重県のスーパーで店員として、働いていました。

外国人は日本の企業で働くためには、ワーキングビザを取得する必要があります。

その時、彼が勤めていたスーパーは、ミャンマーに海外進出するという理由で、彼を雇ったそうです。それを聞いて、思わず笑ってしまいました。

私も、社労士を通じて、入国管理局に書類を提出して、彼のワーキングビザを取得しました。

私が、会社を事業譲渡して引退してからは、彼は譲渡先の会社に勤務して、もう5年になります。

その彼のお父様が、今年の夏に、コロナに感染して、70歳を少し越えたくらいの年齢で、他界されたのでした。

私は、彼に、尋ねました。

「お父さんが亡くなられたそうだね。ミャンマーには帰ったの?」

「いえ、帰っていません。」

「どうして?」

「一度帰ったら、空港で足止めを食らうし、いつ戻ってこられるか分かりません。」

「今、ミャンマーは軍事政権で大変だからね。」

すると、彼は、少しずつ、ミャンマーのことを、語り始めました。

「今年(2021年)2月1日に、軍によるクーデターが起きました。
 本当は、2月1日は、選挙で圧勝したアウンサンスーチー政権が誕生して、発足する日だったのです。
 アウンサンスーチーさんが、軍部のいうことを聞かないから、クーデターを起こしたのです。
 軍事政権は、誰でも、理由もなく殺戮します。
 なので、恐ろしくて、帰ることができません。
 そのため、一般市民が武装蜂起して、軍事政権と戦っているので、内戦状態です。」

「その武装蜂起した部隊は、だれが支援しているの?」

と私が質問すると、彼は、あっさり、答えてくれました。

「僕たちです。」

そして、母国に、お金を送って、経済的な支援をしているとおっしゃるのです。

これには、ちょっとびっくりしました。

「軍事政権を支援しているのは、中国とロシアです。
 そして、日本が一番損をしていますよ。」

「何故?」

「アウンサンスーチー政権の時に行った投資が、無駄になっています。」

と、おっしゃいました。

そのような事情で、彼は父の死に立ち会うことができないのでした。

「お母さんは、大丈夫なの?」

と、聞くと、

「母も、コロナに罹ったのですが、元気です。
 女性の方がコロナには強いみたい。」

と、少し笑って、答えてくれました。

このミャンマー情勢の話を聞いて、アメリカが軍隊を撤退して、タリバン政権が復活したアフガニスタンのことを思い出しました。
アフガニスタンのことは、現実感がないのですが、ミャンマーの状況は、自分が信頼する友人が語ってくれたことなので、悲痛なものが伝わってきます。
一つ救いなのは、そのような境遇である、彼自身が現在の会社で、安定した地位、収入、仕事を得ていて、何の不満もなく幸せだということでした。
「軍事政権が倒れるまで、今の仕事を大切にするのがいいよ。」
と、アドバイスをするのが精一杯でした。
早くミャンマーが、平和で国民が幸せな国に戻ることを、祈らずにはいられません。
今回の旅行で、彼と、信頼関係と、一つの絆ができました。
ミャンマー情勢などのネガティブなことにフォーカスするのではなく、一緒に別荘で楽しむことにフォーカスしながら、良き友人として、別荘でバーベキューをするなど、楽しいことを一緒にしていけたらと思います。

 

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