昨日(R3/11/8)、叔母が99歳で亡くなり、琵琶湖の草津まで、お葬式に行ってきました。
導師のお坊さんの読経が、耳慣れないものだったので、「宗派は?」と従兄弟に訊ねました。
すると、従兄弟は、ちょっと誇らしげに、
「ここは比叡山のお膝元なので、天台宗です。この近隣は、皆、天台宗ですよ。」
と、おっしゃいました。
「最澄、伝教大師の?」
と聞いたら、嬉しそうに頷いていました。
私は、このような素朴な信仰が好きです。
叔母が周りの家族から、親戚から、如何に愛されてきたかが伝わってきた、とても良いお葬式でした。
「一隅を照らす」は、最澄の言葉ですが、叔母はそのような人生を歩まれました。
幸せな人生だったのだろうと思います。
最近、ある方からいただいた「宗教」についてのメールのことを思い出しました。
正しい宗教は、倫理である”正法”だと思われておられるようですね。
その宗教自身”矛盾”しているのです。
その原因は、「宇宙の基本法則・エネルギーの運動法則」を熟知している勢力が、無知な生命体(※ 人間)をコントロールする為に、故意に間違った “宗教として、倫理正法として”、地球に持ち込んだ。
(あなたには、)“矛盾”の意味があまりお分かりではないようで…
このメールに対して、私は次のように、返信しました。
確かに、比叡山にも、信長の焼き討ちなどの歴史がありました。
仏の教えとは、縁遠い僧兵と呼ばれる人たちも、過去にはいました。
ここにも、光と闇の戦いがあったことは事実です。
人間がやることには、必ず、善と悪があります。
悪をしない人は、誰一人いないはずです。
今の地球は、そういう二元的な世界です。
それを、乗り越えるために、アセンションをするのだと思っています。
先日のブログ「スピリチュアルな回り道をしないで、アルクトゥルスの愛を受け取ってください」( 2021年11月7日投稿)の中で、
「マインド(思考)のレベルで行動するのではなく、自分自身の気持ちや、周りのエネルギー、他の人たちが発しているエネルギーに、向き合うことが大切だ。」
という趣旨のことを、アルクトゥルスがおっしゃっていたことを、思い出しました。
スピリチュアルな真実について、思考やロジックを使って、議論をかわしたとしても、それは、回り道をするだけです。
「宗教」についてのメールをくださった方と、もう議論をすることはやめにしました。
怖れ、悲しみ、怒りを手放して、リラックスして、心をオープンにして、例えば、アルクトゥルスの愛を感じることが、自分自身の波動を上げる近道です。
難しい天台宗の教義を何も知らなくても、安らかな死を迎えた叔母のような生き方が、幸せな人生なのだと思います。