母の年祀の儀 2022年

母の年祀の儀 神棚 十三神之祈り

昨日(R4/5/16)は、母の祥月命日のため、母の年祀(ねんさい)の儀を執り行わせていただきました。

 

母の年祀の儀 神棚

 

毎日正午に行なっているお昼のお祈りに、年祀の儀を合祀したので、そのための奏上を作成したくらいで、いつもと特別、違いはありませんでした。

そして、お祈りの後に、母のお墓のあるお寺に車で行って、お花を飾って、線香とお灯明をあげてきました。

 

母の年祀の儀 お墓

 

母が他界したのは、今から丁度、5年前の2018年5月16日でした。

亡くなる前日の夜に、二人の孫と普通に話をして、翌日の午前10時過ぎに、息を引き取ったので、最後はピンピンコロリであったといって良いでしょう。

母の亡骸には、全く死後硬直がみられませんでした。

湯灌の時、通常は手を胸の上で組んで、棺に移すのですが、身体に硬直が全くないので、手を組めなくて困ったほどでした。

 

母を湯灌しているところ。左手の紫のあざは、点滴などの痕です。

 

私は、メンターである松川晃月師から、いつも、

「死後硬直がないことは、死に対する恐怖がないためで、それが安らかに往生した証拠である。」

と、教えていただいていたので、内心ほっとしました。

四十九日を済ませた翌日に、晃月師のご自宅の晃月庵において、母の昇天祈年祭(しょうてんきねんさい)を執り行わせていただきました。

そして、昇天祈年祭を行なった次の年から、毎年、母の祥月命日に、この年祀の儀を奉献してきました。

母の昇天祈年祭は、その時、既に晃月師は昇天されていたため、私自身が導師を行ない、晃月師の娘さんに、地方(じがた)をしていただき、対の地方を晃月師の妹さんにしていただきました。

その時、一つの奇跡が起こりました。

晃月師の妹さんに、母が降りてきて、語り出したのです。

母は、今、穏やかなところに来れたのは、息子のお陰だと、語ってくれました。

母親が亡くなるひと月ほど前、私は母の死期が近いと感じていたので、次のように質問しました。

「お母さんは、必ずお迎えが来るから、何も心配しなくていいよ。
 もしお迎えが来るとしたら、克己さん(父)がいいか、保郎さん(祖父)がいいか、どちらがいい?」

「おじいちゃんがいい。克己さんはすぐ怒るから。」

と、母が言ったので、誰がお迎えに来るのか、興味がありました。

晃月師の妹さんに降りた母に対して、次のように、質問しました。

「お迎えは、誰だった? 克己(母の夫)さん、それとも、保郎(母の父)さん?」

すると、母は意外な返答をしました。

「白い着物を着た方。多分、あなたの先生だと思う。」

 

松川晃月師のポートレート

松川晃月師のポートレート

 

つまり、母を迎えに来られたのは、松川晃月師であったというので、正直、とてもびっくりしました。

その後、晃月師の妹さんから離れて天に昇る時、導師をしていた私に向かって、手を小さく振って、観音の檀(神棚)から、昇天していったのでした。

私は、導師をしていたので、母が手を振ったところは、見えませんでした。

後で、このことを聞いて、つくづく良かったと思いました。

亡き母は、どちらかというと、「死んだら、すべてが無くなる。神も佛も信じない。」という人だったからです。

母が極楽浄土に行くことができたことは、息子としての最高の恩返しだと思っています。

 

私は、1999年12月に、晃月師と出会って以来、これまでの20年あまりの間、十三神のお祈りを続けてきました。

神、宇宙人、天使などの存在から、メッセージを学ぶことも、大切なことですが、毎日、お神の本願(宇宙の法)に叶う生き方をすることが、基本だと思っています。

そのため、私は、十三神の日々のお祈りを、毎日続けているのです。   (黒川 記)

 

【おまけの情報】

松川晃月師については、以下のページをご参考にしてください。

 

松川晃月師

晃月神諭

祈りとは

十三神とは?

 

以上、です。

 

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