昨日(R4/5/16)は、母の祥月命日のため、母の年祀(ねんさい)の儀を執り行わせていただきました。
毎日正午に行なっているお昼のお祈りに、年祀の儀を合祀したので、そのための奏上を作成したくらいで、いつもと特別、違いはありませんでした。
そして、お祈りの後に、母のお墓のあるお寺に車で行って、お花を飾って、線香とお灯明をあげてきました。
母が他界したのは、今から丁度、5年前の2018年5月16日でした。
亡くなる前日の夜に、二人の孫と普通に話をして、翌日の午前10時過ぎに、息を引き取ったので、最後はピンピンコロリであったといって良いでしょう。
母の亡骸には、全く死後硬直がみられませんでした。
湯灌の時、通常は手を胸の上で組んで、棺に移すのですが、身体に硬直が全くないので、手を組めなくて困ったほどでした。
私は、メンターである松川晃月師から、いつも、
「死後硬直がないことは、死に対する恐怖がないためで、それが安らかに往生した証拠である。」
と、教えていただいていたので、内心ほっとしました。
四十九日を済ませた翌日に、晃月師のご自宅の晃月庵において、母の昇天祈年祭(しょうてんきねんさい)を執り行わせていただきました。
そして、昇天祈年祭を行なった次の年から、毎年、母の祥月命日に、この年祀の儀を奉献してきました。
母の昇天祈年祭は、その時、既に晃月師は昇天されていたため、私自身が導師を行ない、晃月師の娘さんに、地方(じがた)をしていただき、対の地方を晃月師の妹さんにしていただきました。
その時、一つの奇跡が起こりました。
晃月師の妹さんに、母が降りてきて、語り出したのです。
母は、今、穏やかなところに来れたのは、息子のお陰だと、語ってくれました。
母親が亡くなるひと月ほど前、私は母の死期が近いと感じていたので、次のように質問しました。
「お母さんは、必ずお迎えが来るから、何も心配しなくていいよ。
もしお迎えが来るとしたら、克己さん(父)がいいか、保郎さん(祖父)がいいか、どちらがいい?」
「おじいちゃんがいい。克己さんはすぐ怒るから。」
と、母が言ったので、誰がお迎えに来るのか、興味がありました。
晃月師の妹さんに降りた母に対して、次のように、質問しました。
「お迎えは、誰だった? 克己(母の夫)さん、それとも、保郎(母の父)さん?」
すると、母は意外な返答をしました。
「白い着物を着た方。多分、あなたの先生だと思う。」
つまり、母を迎えに来られたのは、松川晃月師であったというので、正直、とてもびっくりしました。
その後、晃月師の妹さんから離れて天に昇る時、導師をしていた私に向かって、手を小さく振って、観音の檀(神棚)から、昇天していったのでした。
私は、導師をしていたので、母が手を振ったところは、見えませんでした。
後で、このことを聞いて、つくづく良かったと思いました。
亡き母は、どちらかというと、「死んだら、すべてが無くなる。神も佛も信じない。」という人だったからです。
母が極楽浄土に行くことができたことは、息子としての最高の恩返しだと思っています。
私は、1999年12月に、晃月師と出会って以来、これまでの20年あまりの間、十三神のお祈りを続けてきました。
神、宇宙人、天使などの存在から、メッセージを学ぶことも、大切なことですが、毎日、お神の本願(宇宙の法)に叶う生き方をすることが、基本だと思っています。
そのため、私は、十三神の日々のお祈りを、毎日続けているのです。 (黒川 記)
【おまけの情報】
松川晃月師については、以下のページをご参考にしてください。
・晃月神諭
・祈りとは
以上、です。