昨晩(6/19)、久しぶりに、高校時代の友人のF君と食事をしました。以前、彼と名古屋駅で食事をしたとき、予約を取ったレストランの食事券が、本棚か、どこからか、ひらひらと落ちてきたお話をブログに書かせていただきました。
彼曰く、「あれは不思議だったね。古びた封筒が落ちてきて、その中に、予約したレストランの¥5,000円の食事券が入っていたんだ。」と。私は、¥5,000円の食事券が入っていたとは知りませんでしたが、その食事券のお陰で、ご馳走になることができました。
昨日(6/18)は、「夢」というブログを書かせていただきました。
今日(6/19)は、光子体というお話をさせて下さい。
肉体とは、この物理次元(3次元)に生きている私たちがまとっている身体、つまり、この肉体のことです。
光子体とは、夢を見ているとき、次元の異なった世界に行っているときに、まとっている身体のことです。
この身体を、高橋信次先生は、「光子体」と、呼んでおられました。
私達は寝ているとき、自分の肉体をベッドの上に残して、夢の中では光子体で行動しているのです。
物理次元で、普通に生活しているときは、その光子体と肉体は、ぴったり張り合わされています。
寝ているときなど、つまり、光子体が肉体を離れた時は、光子体と肉体は、精妙な霊子線というものでつながっています。
そのため、光子体は、再び、肉体に戻ってくることができます。
超弦理論で予想されているように、この世界は9次元であり、6つの次元が隠れています。
観測によって、この宇宙には、ダークマター、ダークエナジーという、見ることも、感じることもできない、未知の非物質が、約95%も存在しています。
科学は、次元の異なる世界の存在を示唆しています。
次元の異なる世界は、肉眼では捉えることはできません。
私は、残念ながら、心の眼を開いていないのですが、心眼を開いた人には、次元の異なる世界を、見ることができるようです。
光子体は、仏像の背後にある光背(後光)として、存在しています。
イエス・キリストや、聖母マリアの聖画には、頭の後ろに、美しい後光が描かれています。
この後光が、光子体です。
私達がこの世を去り、あの世に帰って、生活するための乗り舟が、光子体です。
人は肉体的な死を迎えると、肉体と光子体をつないでいる霊子線が切れてしまい、光子体をまといます。
光子体を、肉体と錯覚して、まだ生きていると勘違いしている霊は、自分の死をなかなか悟ることができません。
肉体は、この3次元、物理次元の物質からできているので、波動が粗いものです。
私達は、この世に生まれると、90%の意識が潜在してしまい、10%の表面意識で生活をします。
私達は、10%の表面意識で、物質的な肉体をまとい、悩みや苦しみの中で、物に溺れ、情欲に溺れて、自ら苦悩の道を歩んでしまいます。
肉体は、いわばロボットのようなもので、それを支配しているのは、人間の心です。
肉体には、センサーとして、眼耳鼻舌身という五官が付いています。
あまりにも、肉体ロボットが、精妙にできているため、物質の肉体が、自分自身であると、錯覚をしてしまうのです。
そして、本当の身体である「光子体」の存在を忘れてしまっているのです。
この光子体は、心の調和度に比例した光で出来ています。
心が調和されれば、仏像や聖人のように、光輝きます。
たとえ、仏や菩薩、聖母マリアなどの存在でなくとも、この地上界で、美しい心を持って、正しい法に従って生活をしている人たちには、その心に調和度に比例した、後光が射しているのです。
反対に、心の暗い人々は、光子体の肉体は、物質的であり、肉体から出ている光の段階によって、あの世の世界の段階が決まっています。