「光と影のやさしいお話」

光と影のやさしいお話 山田征著 スピリチュアル
「光と影のやさしいお話」(山田征 著 発行日 1989年4月9日)という本を、随分前に、読ませていただきました。 今、この本は、現在、アマゾンで売られているようです。

これは、平易なことばで書かれた、壮絶な、気の遠くなるような物語です。
このような征さんの文章でないと、メッセージが人の心に入っていかないからだと思います。

光と影のやさしいお話 山田征著

何回も、何回も、繰り返し読ませていただきました。

そのころ、離婚をしたばかりのころで、この本で、どれほど心の痛手が癒されたでしょうか。
もちろん、この本に登場する「るしえる」さんほどの痛手では、ありませんでしたが。

自分の救いになった本です。
そのとき、本当に「捨てる神あれば、救う神あり。」だと思いました。

この本は、友人のTさんを通じて知りました。
そのTさんとは、以前書いたブログ「北海道で『ワクワク』」に登場するTさんです。

そして、「光と影のやさしいお話」を読んだ後で、作者の山田征さんに会いに、東京まで出かていきました。

JRの駅前で、征さんを待っていると、ご自分でワンボックスカーを運転されて現れたことに、意表を突かれました。

「この車は、距離のメーターが、二回りしていて、20万キロ以上走っているのに、まだまだ乗れるの。」と、おっしゃっていたのが、印象的でした。見かけは、元気のよいおばさんでした。

それは、夢の中で聞いたある声に、次のように言われたことから始まりました。

「今日から私達の伝えますことを、ひとつあまさずに書き留めていってほしいのです。そういたしますと、すべてのことがらが、正しく伝わってまいります。良いですね。」

これをきっかけにして、脳裏に浮かんでくる言葉を、ノートに書き記したものが、この「光と影のやさしいお話」となったのです。

以前、「かみさまは小学5年生」という本について、ブログを書きましたが、それとは、少し趣が違うのですが、非常にやさしく、ダイレクトに神様や天使のことが、伝わってきます。

メッセージの多くは、「いえす」から送られてくるのですが、途中から、「はい、私はるしえる。」という言葉で、「るしえる」との交流が始まります。 「るしえるのうたえる詩(うた)」から、引用させていただきます。
さあ やさしいあなたよ さあ 私の愛するやさしい人々よ 私のまことの姿を いまこそ知ってほしい
私は本来 決してあなた方人間に敵対するものではなかった あなた方をまことに救わんがため また神の命により 天下りし者であった
私のこの覚悟のほどを知るがよい 私のほんとうの心を知る者はいない どれほどの者が知っていたであろうか 否 いえすと名のる かの魂のほか まことのことを知る者はなかった なぜならば まことのことを知られては 私のなすべき任は なし得なかったが故に
いまこそ知るがよい 人々よ 知るがよい そなたたちのネガティブなもの 人が悪と呼ばわりしものを 私はすべて 私のうちに収めたのである 私以外に このことを誰がなし得たであろうか
私は 神がそなたたち人々を愛された その全き愛のもとに 私もそなたたちを愛していた者である 神の愛に比類する愛のゆえに 私はベルゼブル(注、サタン)とはなり得た
知るがよい この天が下の大いなる愛の印を 私はいま 自らを まことの愛の天使に変えようとしている その意味するところのものを 人々よ まことに知るがよい 知るがよい
時こそ来たれり 時こそ来たれり
———-
しかし よきかな よきかな いまこそ時至れり 我が時至れり 人々のいまだ知らざる至福の世界が そなたたちの前にそなえられしものを いましばしの時なり
———-
私(るしえる)は彼(いえす)であり 彼(いえす)は私(るしえる)であった 二人はひとつであり ひとつはふたつでありし 彼は光 私は影 光なきところに影はなく 私はたえず彼と共にあった
———- 人々よ 知るがよい そなたたちの前にあるは 全き神の きざはしのみ 登りゆけ ふりむくでない 登りゆきて やすらぐが良い そこにてまた 我も待つなり 我もまた ともにやすらぐなり
         大いなる神の従者 るしえる

 

驚くべき言葉が、征さんに伝えられました。 (るしえる) 「あなた方をまことに救わんがため、また神の命により、天下りし者であった。」 「神の愛に比類する愛のゆえに、私はベルゼブル(注、サタンのこと)とはなり得た。」 「私(るしえる 影)は、彼(いえす 光)であり、彼(いえす 光)は、私(るしえる 影)であった。」
この「光」と「影」というテーマが、この本の題名になったのです。

この詩(うた)、メッセージを見た時、正直、びっくりしました。
なぜならば、サタン(るしえる)について、高橋信次先生が公開された「サタンからの通信」にある恐怖のイメージしかなかったからです。

「地獄界に堕ちていたサタンが、天上界に戻ったのかな?」というのが、正直な印象でした。 今、この詩(うた)を読み返すと、そんな単純なことではないと、今更ながらに思いました。
この本を、アマゾンで手軽に購入できるようになり、今こそ、征さんの描いた『影』の真実の姿を、私たちは知られなければならない時なのだと、思います。
るしえるの詩は、30年も前のメッセージであるにも関わらず、「闇を受け入れる」(サナンダ 2018年3月1日 闇を受け入れる  アデーレ・アリーニ経由)のメッセージと、訴えたいことは、本質的に同じです。(このことは、いずれブログで。)
人々のいまだ知らざる至福の世界が そなたたちの前にそなえられしものを いましばしの時なり
そこにてまた 我も待つなり 我もまた ともにやすらぐなり
      大いなる神の従者 るしえる
この真実を、受け留めることで、「アセンション」が、また一歩、近づきます。 ご一読されることを、お薦めいたします。

山田征さんの朗読による「るしえるのうたえる詩」を付けます。

【参考】(山田征さんの略歴)
1938年3月 東京生まれ。
6歳より 九州宮崎で育ち、21歳で上京。
24歳秋、阿佐ヶ谷にて結婚。
1963年春、武蔵野市に移り住む。
ただの主婦にできたこと 山田征著

 

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