我にてあり

モーセが十戒を受けたとされる「セルバル山」 スピリチュアル
私は、1994年のゴールデンウィークに、イスラエルとエジプトを旅行しました。そのとき、モーセや、イエス・キリストたち、聖人の聖地を巡りました。 次の写真は、モーセが神から十戒を受け取ったとされるセルバル山(Mt. Serbal)です。(異説もあるようです。)

モーセが十戒を受けたとされる「セルバル山」

モーセが十戒を受けとったとされる「セルバル山」

モーセが神の声をきいたとされる「燃えるしば」

モーセが神の声をきいたとされる「燃えるしば」

旧約聖書「出エジプト記」第3章14節において、神の山「ホレブ」で、燃えるしばに現われた神は、モーセに対して、ご自分の名前を「我は有りて在るものなり」(I am that I am.)とお答えになりました。そして、エジプトで奴隷となって、苦役にあえいでいるヘブライの民人を救い出すことを、モーセにご命じになられます。

この「我は有りて在るものなり」という意味のヘブライ語が、「エホバ」、「ヤハゥエ」の神名の語源となりました。

さて、もし、この世界を全知全能の神が創造されたとしたら、この世、この世界に存在する、いわゆるネガティブなもの、悪、悪人とは何だろう?
という素朴な疑問を持たれたことはありませんか。

「吹く風もまた私である」(1992年8月10日 初版)の著者である、山田征さんは、この命題をずっと考えられてこられました。
そして、ひとつの答えを得られたのです。

「吹く風もまた私である」のご本に、次の詩(うた)が出てまいります。

1989年1月15日(ノート十三より) 「吹く風もまた私である」P.229 

↓===============================================↓ さあそなたよ 早くこのノートを開いて私の言葉を記したまえ 私が誰であるか そなたははや知りてあるものなり
そなたのいま目に映るすべてのものは私である そなたのまわりに吹くその風は私である その風に吹きさらされるあの木立も 舞い遊ぶ一枚の木の葉も はるか彼方にくっきりと黒々と浮きあがるあの山脈(やまなみ) その山ひだに白く残りてあるあの雪の姿 その雪にも似た空に流れる白き雲 それらはすべて私である そればかりではない 走りくる車も私 その車を走らす大地も私 その車に乗りてある人なる者もまた私である
そなたの目にはほかに何が映りてあるや まことに さまざまなる人の手にて造りたる構造物(たてもの)もあり 枯れはてて あるいは立ち あるいは横たわりてるさまざまなる草々もあり 黒き畑に植わりてある あの青き草は何と言うのであろうか それもまた私である あの看板に描かれたる 絵や文字など それも私なる 私の他に有りて在るものはなし
そなたの心に浮かびたるこの言の葉 この言葉つくりたる我を誰なると知りたるや 我はそなたらすべてのものを創りたる 神なる宇宙意識なり そなたら すべてのものの源なると知りたまえ    我にてあり ↑===============================================↑

ここで登場する「我にてあり」とサインをされた「我」さんは、モーセに「我は有りて在るものなり」(I am that I am.)とおしゃった神さまであると思います。

この「我は有りて在るものなり」の神は、「エホバ」とも、「ヤハゥエ」とも、呼ばれている全知全能の最高神です。

上の詩は、「エホバ」の本質を、詩的に表現しています。

私たち、人間がみることができる全てのものは、我という存在・神なる宇宙意識が源であり、全て、その現われであるということです。

なので、この世のネガティヴなもの、悪も、悪人も、全知全能の最高神のまた、ひとつの現われの姿であるということになります。
「吹く風もまた私である」のあとがきに、次のように記されています。

あとがき   「吹く風もまた私である」P.309

↓===============================================↓  私は前から、この世、この世界、この宇宙を全智全能の神さまがお創りになったのなら、その世界に存在する、いわゆるネガティヴなもの、悪、悪人とはいったい何なんだろう?と絶えず考えてきました。でも、それもまた”いまひとつの神”、神なるものの姿と力であるといった、なんともあっさりとした言葉に出逢ったとき、それこそストンと、いえ、なんだやっぱりそうか、それならわかる、とってもよくわかると思えました。そして、この世には神様以外の素材はなにひとつないのだから、ああれもこれも、ほんとに、それこそあなたも私も、私もあなたも、みんな神さま、みんな一緒、みんな同じではないか……と。そして、その本質とはいったい何であるのか……と考えはじめたのでした。 ↑===============================================↑
これは、山田征さんがご自身で、考えて考えて、考え抜かれた「答え」なのだと思います。 この答えが、「吹く風もまた私である」というご本の題名に、そのままなっているわけです。
善も悪も、ポジティブも、ネガティブも神の現われという、この答えは、考えてみると、至極もっともな結論だと思います。 私たちの心の奥底にある「自我」、すべてのことを認識する「自我」こそが、私たち自身の神です。 自分の外側に、神を求めるのではなく、心のうちに神が存在しているのです。
つけたしです。 “I am that I am.” という言葉(マントラ、呪文)は、このハッピーネットのブログの中で、時々に出て来ます。

5次元の自分へアクセス その1」、「手放し方」、などです。
「私はありてあるものである。」と唱えることで、自分自身の神性を思い出すのです。

山田征さんの「吹く風もまた私である」等のご著書の注文先は、以下です。

『ヤドカリハウス』
東京都三鷹市井口 2-18-13

 

 
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