天の岩戸開き(あめのいわどびらき)とは、古事記に出てくる有名な神話の一つです。
山田征さんのご本「吹く風もまた私である」の終りの方にある「あたらしい緑、あたらしい生命、緑の蝉のお話」という、長い見出しのお話の中に、天の岩戸開きにまつわるエピソードがあるので、ご紹介させてください。

1990年4月のマチュピチュ旅行に続いて、その年の7月7日に、征さんは仲間と長野県の戸隠神社を訪れることになりました。

皆既日食

皆既日食 2012‎年‎5‎月‎21‎日

征さん知人のガイドで、戸隠神社の下社(火之御子社 ひのみこしゃ)で、神事を執り行うことになるのです。

「吹く風もまた私である」 P.276 – 277 アメノウズメノ命
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「せいさん、どないします? この蝉、カラから抜け出すまで待ちはりますか? それともどこかに移しますか? それとそっと連れていかはりますか? せいさん」「それにしてもこの蝉、なんで人間なんかにのぼってきてしまったんでしょうね。せいさんのこと木とまちがえはったんやは」。とにかく彼女は関西の人なのです。ま、こんなふうに驚いてはいますが、いかにも面白いと楽しんでいるのです。
 まさかこんなドロだらけの蝉の幼虫、首すじにとまらせたまま出掛けるわけにもいきませんし、カラから脱けるのを待っているわけにもまいりません。では、ただ離してしまうのも惜しい気がして、カラからかえったその時その姿を見ることが出来ますようにと、あまり背の高くない近くの細い木に移して出掛けることに致しました。
……(中略)
 戸隠神社は下社、中社、奥社と三つの社に分かれてあるとのことでした。私達を案内してくれました知人は、その中でも下社がとてもいいのですよと連れて行ってくれたのです。中社、奥社と違っていまではほとんど人のお参りはなく、忘れられてしまっているのです、とのことでしたが、その社はほんとに小さく、まるで小さな村の”鎮守の杜”のような佇(たたずま)いでした。でも、周りの杉の古木はみごとに大きく、天に向って競い合うように伸びています。
「ここはね、私達がそれとなくお守りしているのです」と知人はまるで勝手知ったる我家のように、小さな神殿の裏木戸をガタピシ言わせながら開けてくれました。中に入りますと、シーンとして静かです。そんなに大きくないお堂(?)の中央に、約二畳程のちょっと十センチばかり高くなった座があり、その奥に例の神社特有の鏡だのなんだのが祀ってありました。私達一行は総勢五人でした。その五人が一段低い平場に横に並んで座りました。型通り二拝二拍手なんとかをまるでカンニングよろしく隣の人の真似しながらやったわけです。ほんとにここには普段人が誰も入らないらしく、板の間にはうっすらとホコリが積り、歩くと足あとがついてしまいます。
 ところが、その何も無く誰も居ないはずのお堂のすみの方から突然、トン、トン、トトトン、トン、トン、トトトン、となんだかとても軽い調子の良い音が聞こえてきました。オヤ? と思う間もなく、その軽い調子の音につられて何だか気分が浮かれ出し、ついでに体まで浮いてしまいそうです。”え、いいのかな?踊ってしまっても……”ふとそんな思いが頭をかすめます。いけないったってもうダメです。そんなこと思った時にはもう時すでに遅し、太鼓の音に合わせて私の腰はリズムをとりながら、身ぶり手ぶりよろしく浮きあがってしまっていました。その頃には例の関西弁の友人は調子よく手拍子さえ打っています。もちろん立ち上がりました。踊り踊りながら少し高い二帖台に上ってしまいました。なんだかとっても楽しいお神楽が始ってしまったのです。テンポの早いリズム、ゆっくりのリズム、いろいろです。ぐるぐると目がまわりそうでもあります。いかにもしなやかな腰つきです。いったいこれは何でしょうねえ……。踊っていて楽しいのです。なんだかとっても気持ちが良くて、思わず笑いがこみ上げてきそうです。
 そのリズムの良い太鼓を打っているのは、まぎれもなくこの社へ案内してくれた彼女でした。それにしても、こんな踊りはいつまで続くのかな? だってもう十分位踊っているのではないかしら、そんな気がしました。そうしますと、静かにゆっくり音は止まりました。私もそれに合わせ、ゆっくり動きを止めて、鏡に向って腰を落とします。
 するとどうでしょう、今度は歌です。美しくゆっくりしたテンポのメロディが、太鼓のきこえた角の方から始りました。歌詞もついていますが、今様(いまよう)ふうのものでした。不思議なことに、そんな時、私はすぐに一緒に唱和していくことが出来ます。まるでよく知っている歌を一緒に気持ちよくうたっているって感じです。
 やがてその歌も終わりとなりました。そこで私は鏡の方に向ってパン、パン、パン、パンッとあるリズムをとって手を打ち鳴らしました。そしてやおらみなさんの方に向き直りました。そして私は言いました。「舞を舞い、歌をうたい、手を打ち鳴らし、支度が出来ました。さあまいりましょう」。なんだかこうして自分の動きを自分で見ていたように書いていくというのも変な気持ちです。
 そう言い終わりますと、私はまるでぱあっと夢から覚めたように正気にもどりました。もちろんその間眠っていたわけではありませんし気が薄らいでいたわけでもありませんが、どこかやはり自分ではない自分になっていたようでした。他のみなさんもなんだかほっとして気が抜けたような、狐につままれたような、夢の国に居たような、そんなポーッと上気したような顔つきで座っていました。私はつい「見たな?……」なんて言ってしまい、思わずみんなではじけるように笑い合ってしまいました。いったいこれは何だったのでしょうか……。
 外に出てみて驚きました。というより、この小さな社、下(しも)社は、本当は”ひのみこ社”(火之御子社)という名前でした。そして祀ってある神さまは、なんとなんと、あの”あめのうずめの命”さんでした。
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蝉が征さんの体に登ってくるなんて不思議ですね。この蝉が、後になり、重要な役割を果たすことになるのです。

知人の方の太鼓の音で、征さんが踊り出してしまったのは、そこに祀られていたた、”あめのうずめの命”さんが、征さんにのり移ってのことだったのでしょうか。

次に、征さん一行は、中社は通り過ぎて、奥社に向いました。その後で、蝉の幼虫がカラを破って、蝉になったことを知ります。

「吹く風もまた私である」 P.282 タジカラオノ命
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 そこ(奥社)でもまた、きっと何かがあるだろうといった妙な予感はしていました。でもそれが何であるのか、そこにたどり着くまではわかりませんでした。
 神殿前には無人の記帖台があって、和とじのノートが広げられてありました。私はつい寄っていき、何げなくペンをとったのですが、なかなかすぐに名前が出てこないのです。もちろん、自分の名前が何であるか位よくわかっているいるのですが、それを書こうとしますとその名はさっと消えて、かわりに”タジカラオノ命”という名に変わってしまうのです。”やっぱりねえ、今日はとても変な日みたい”と思いました。さっきは”アメノウズメノ命”そして今度は”タジカラオノ命”、これでは完全な天の岩戸びらきのお話ではありませんか。
 そうです、さっきのお話の続きですが、”アマテラス大神”の隠れてしまった岩戸の前でアメノウズメノ命さんがさんざん面白おかしげに踊りまくったので、それをみた神さま達はゲラゲラウヒウヒ大笑いの大騒ぎというわけです。外があまり騒がしいので、くだんの神さま、”いったいこれは何の騒ぎたるや?”と岩戸をほんの少しだけ、そうっと細めに開けてみました。
 結局そうなることを計ってのこの大騒ぎバカ騒ぎです。そこは全くぬかりはありません。岩屋のカゲで待ちかまえていたのは力自まんの大男、タジカラオノ命でした。少し開いたその隙き間に手をかけ、エイヤッとばかりに重たい岩戸を押し広げてしまったというわけです。中から顕れましたのは、岩屋にひそんでいるまにすっかり美しく変身した天照大神であり、それと同時にこの世に再び昼の明るさが戻ってきたというお話です。
 もちろん私のこの話、ほんとうに正確かどうかはわかりません。こうしたことに専門の方が読まれましたらいろいろとおっしゃりたいこともあるかもしれませんが、それはそれ、これはこれでかんべんしていただきたいと思います。
 さて、その戸隠の奥社の前に立ったとき、自分の脳裏を度々かすめるこの”タジカラオノ命”の名に私は少々恐れをなしてしまいました。”エー、まさか今度私は、力男になって、この小さな神殿でなんかやらかすことになるんじゃないでしょうね……”
 ところが、私の体はまたごくごく自然にあるひとつの動きを始めていたのです。今度はまるで能舞台に見る舞のカタのような動きです。非常に整理され、足運び、手や体の所作も気持よく整っているのです。そして先程太鼓を打ち歌をうたってくれました彼女は、今度はまた別なものを声にしうたいました。その歌に合わせて私は静かに所作(しょさ)ごとを行っているのでした。
 その歌が止んだ時、私は静かに静かに外の柵ぎりぎりのところまで後じさりをしていました。腰を落し、両の手を併せ、その指先をヒタと大地の上にあてがいました。そしてひと足またひと足と、腰を落したままの前進が始りました。そのひと足毎に、合せた指先はまるで大地そのものをスパッ、スパッと切り裂いていくかのような感触なのです。そして前方にあった(つまりお賽銭箱のところの)小さな木の柵まで届きますと、今度はその柵を下から上へと切り裂いていきます。すっかり上までまいりますと手をほどき、今度はその柵の下の部分に少し開いた両手をあてがい、浮力をつけ、ふわっと持ちあげ、右と左それぞれに振り分けてしまいました。
 もちろんそれはすべて仕草だけの出来ごとでした。全く能の所作(しょさ)そのものと言っても良いものでした。私はたまたま主人が”能楽”を仕事とするものですから、そのあたりのことはそれなりに分かる気がしています。いえ、それは能の所作、カタを真似たのではなく、むしろ能の方が、あるいはこれに似たようないきさつの中で生まれていったものではないかとさえ思います。
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この奥社で、”エー、まさか今度私は、力男になって、この小さな神殿でなんかやらかすことになるんじゃないでしょうね……”という征さんの予感は、的中しました。そこで、征さんは、タジカラオノ命になって、天の岩戸を開く神事を執り行うことになりました。

天の岩戸を開いてしまった征さんは、実は、そこで、「まことに凄じい光を発しましたあの火の玉”太陽”」を、見てしまったのです。この神事は、楽しみの為のパフォーマンスではなかったと、あとでまりあさんに告げられます。

「そうなのです、あなたはあの仕草の出来ごとのあと、まことに凄じい光を発しましたあの火の玉”太陽”と言いますものを初めてその目にしたのではなかったのではなかったでしょうか。何げなく見たかのようなその新しい光の太陽こそは、その切り裂かれ切り開かれました大いなるも素晴らしき卵のカラにもたとえることができますその裂けめを透して見えたものではなかったでしょうか。そのことを、いまこのようにして私達はここに改めて伝えなければならないのです。あれらの出来ごとは、ただたんなる楽しみの為のパフォーマンスなどといったものではありませんでした。」(まりあ)

そして、この征さんが見てしまった凄まじい光は、後々、大きな変化をもたらしていくことを、告げられるのです。

このことで、思い出したのが、昨年2018年11月20日に公開した「太陽系宇宙に、大きな変化」というブログのことです。

In Deep(地球最期のニュースと資料)さんのブログによると、この太陽系宇宙、この太陽に、大きな変化が起きているそうです。

以下は、In Deep(地球最期のニュースと資料)さんのブログから引用しました。
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少し前に、太陽のほうで何か爆発的な現象なのか、あるいは何かそういうこととは関係ないこと(認識の錯誤など)なのかわからないですが、太陽系の中で「何か起きたかもしれない」というようなことを下の記事でご紹介しました。
投稿日:2018年5月21日
それは惑星Xあるいはニビルと呼ばれる曖昧な存在と関係するものなのか?
5月21日のロシアの報道メディアより
ご紹介する記事に出て来る過去10年ほどの間に太陽系で観測されている変化
・1901年から観測が続いてる太陽磁場が最近の数年間で 230パーセントも増加。
・太陽の影響による磁気嵐が異常に増加しているが、医学的見地で磁気嵐が人間の死亡率の増加と関係していることが明らかとなったのは、この15年ほどのこと。
・水星のこの数年の変化はとても激しく、極地に氷が突如として現れ、そして突然強力な「磁場」が出現した。
・金星では、過去 40年間で、オーロラの明るさが 2500パーセント増加。
・木星では、過去 10年間で、プラズマ雲の明るさが急激に増加した。
・他に、土星、天王星、海王星、冥王星、火星でも、大幅な変化(本文をご参照下さい)。
・月の周りには約6000 kmのナトリウム層が形成されており、つまり「月の環境に大気が作られる前兆」である可能性がある。
・太陽系の端の発光プラズマが 1000パーセントの増加を示している。
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私たちが知らない間に、この10年間で、太陽に大きな異変が起きていたんですね。

さらに、昨年、2018年11月16日のブログ「太陽がまぶしい」で、「光の銀河連合」さんからの、「エネルギーが3倍になった」という情報を、ご紹介しました。

ただし、この3倍のエネルギーとは、おそらく、視えないあの世の太陽、大元の宇宙意識である太陽”大いなる全て”から、降ろされてくるエネルギーのことであるように思われます。

1990年7月に、征さんによって、執り行われた天の岩戸開きの神事が、太陽の異変の一つのスタートであったように、思うのです。
エジプトのピラミッドの封印されたエネルギーの解放、そして、マチュピチュでの「天に合図」に続いて、この戸隠神社の天の岩戸開きの神事が、30年も前に行われた既成事実として、山田征さんのご本の形で残されました。
この一連の秘儀の開示が、「光と影のやさしいお話」のご本のシリーズの底に流れている、ひとつのテーマなのです。
ようやく、今(2019年2月)になって、それらの秘儀が何を意味するのか、理解できるようになってきたように思うのです。
光と影のやさしいお話」、「光の帯となって」が、昨年(2018年)から、アマゾンで購入できるようになったことは、時代がようやく追い付いてきたのかもしれません。