このハッピーネットでは、目に見えないが確かにある世界、つまり、”スピリチュアル”を大きなテーマとしています。その中でも、とりわけ、私たちの「アセンション」(昇天)が中心の課題と考えています。
最近、このサイトをお知りになったという方には、「アセンション」について、ご存じない方も多いかと思います。
ブログを始めた当初から、「アセンション」の私の捉え方も、随分、変わったところもあるので、再確認をさせていただこうと思いました。

1994年のエジプト旅行で撮影したピラミッド

このブログでは、いつになく、珍しく話がヒートアップしているようです。
“ALL IS NOT AS IT SEEMS.”(全ては見た通りであるとは限りません)という言葉に、”Show me the evidence?”(証拠を見せて)と、ブロッサムさんがいうと、光の銀河連合さんさんが、”THE BIG CHANGE … THE CHANGE IS COMING.”(大きな変化が来ます)といい、”REMEMBER”(思い出して!)とか、”HOLD ON.”(そのまま待って!)とか、”REGAIN YOUR STRENGTH”(強さを取り戻して!)などと、ブロッサムさんを励まします。 
ブロッサムさんは、大きな変化(THE BIG CHANGE つまり、「イベント」、「アセンション」)が、いつ起きるか解らないので、苛立ちを隠しきれない様子です。そして、もう我慢しきれない、その変化が早く来て欲しいと、願っているようです。
今、一度、この「アセンション」について、考えてみましょう。
 
「壮大なイベント」(サナンダさん)や、「5次元の自分にアクセス」(父なる神さん)というメッセージは、どこか、ハリウッド超大作映画の予告編を見ている感じがして、正直、大げさにも思えます。
 
一方、山田征さんのご本に出てくる「アセンション」のお話(注、30年近く前なので、「アセンション」という言葉は、一言も出てきません。)は、どこかほっこりしていて、日本昔話でも読んでいる気持ちになります。
 
日本語がそのまま理解できることで、征さんのご本を直接読めるというのは、日本人に生まれた特権です。幸せなことだと思います。
 
多くのライトワーカーの皆さんや、スピリチュアルにご興味のある方々は、「イベント」、「アセンション」が、今後、本当に来るのか、来ないのか、来るのであれば、これからどうなっていくのかを、当然、お知りになりたいのではないかと思います。
 
この征さんのご本の中に、「アセンション」を、どう捉えたら良いのか、という一つの答えというか、ヒントがあると思うのです。
 
さて、征さんのご本で、その「アセンション」が、どういうこととして描かれているのか、それを抜き出して、ご紹介させてください。
この考え方は、あくまで黒川個人の意見です。征さんに確認をとったものではないので、悪しからず、ご了承ください。
 

その1、いえすさんのお言葉

旧版「光の帯となって」(山田征 著 1991年8月10日 初版)十月十九日(水) P.24~P.27 ↓
「それではいましばらく語り合うと致します。いまからあなた方が向うべき新しい星、新しい世界のことについてなのです。
 この前あのお友達が言っていましたように、どこか他の星から空飛ぶ円盤がやってきてあなた方を乗せていくとか言った、そのような話ではありません。あなた方はすべてその肉体を離れて、あなた方本来の霊的な姿になって、この地球を離れていくのです。それらは、今この地球上に住む人々が一ぺんにと言うことではありません。準備の整った者から次々と飛び立っていくことになりましょう。
 その時の様子を、いまあなた方の暮らしの中のもので考えてみることも出来ましょう。たとえば、あなた方が入浴いたします時に、まるで体を濡らさずにいきなり湯船に入るといたします。そう致しますと、その体の表面に付着していました空気が次々と集まり、無数の泡のような状態になり、ひとりでに体を離れ、湯船の表面に向って浮上したまいります。
 もちろんこれらのことと全く同じであるとは言えないのですが、これはひとつのイメージとして使えると私達は考えたのです。むしろ私達は、一年に一度、美しい月の夜にサンゴが卵を産むときの情景を言いたいと思いましたが、あの姿は誰もが想い描くことのできるものではありません。
 その時あなた方は、ごく自然に成りゆきにまかせていれば良いだけのことなのです。ある時気付いたら、あなた方はまた別なる星の世界に居たと言うことになるでしょう。あまり移動のことについての心配はいりません。
 むしろ、それ以前のところに問題があるとおもわないでしょうか。人はどのようにして軽く素直になったら良いのかということなのです。
 本当は、少しも難しくも大変でもないことなのです。人々がすべてのことを素直に、あるがままに受け止め、何ごとにも執着心をを残さないという姿になれば良いだけのことなのです。
 そうです、最終的には、生きると言うことに対しての執着心であると言えるでしょう。あなた方が今生きていること、そしてまた死を迎えますこと、そのどちらも同じことであると知りますならば、おそらくは死に対する恐怖、あるいは生に対する、つまりは生命に対するる執着心を取り除くことが出来るのではないでしょうか。
 まずは物に対して、またさまざまなる出来ごとに対してのこだわり、あるいは権力や知名度など対しての執着なども同じであると言えましょう。そのようなことも少しずつと取り払っていくと良いのです。
 また、もうひとつ大きなことは、いわゆる一般的にいいます神仏(かみほとけ)に対する執着、こだわりと言ったものではないかと思います。また、それらのものに対する祈りといったものもあります。
 祈りとは何でありましょうか。まずほとんどの方々のそれは、祈りではなく、願望であると言えましょう。神や仏へのお願いでしかありません。まことの祈りとは、生きてよし、死んでよしの境地でありますから、もはや何も願うことはありますまい。しかし、なかなか人はそこまでにはなりきれないものなのです。
 その域まで行きました者の姿は、ある意味では人の目に無感動、無神経となって映る場合もあるでしょうし、何のことはありません、ただ素直に生きているだけの人の姿なのです。ただ日々の暮しを、成るがまま、あるがままに受け止めていく姿であると言えましょう。
 とは言いましても、冷たいわけでもなく、ほんとうに無神経であるわけではないのです。前にも申しましたように、極限に近いスピード、動き、波動といいますものは、そらがまるで止まっているかに見えると言ったその原理が、人の姿、精神の中にも働くということなのです。
 少しばかり難しく、理屈っぽくなってしまいましたでしょうか。まあこの話はこの位で良いでしょう。
 とにかく、あなた方人々がいま大急ぎで生まれかわりの事実を知ることで、いかようにも世界が深く広く開けていくということです。そう致しますと、いまこの世の中で起きてまいりますありとあらゆる全ての不和、不平等と言ったネガティブな現象の持つまことの意味を知ることになり、徐々にその心の中にわだかまり続けましたこだわりや不満、怒りと言った感情を鎮めることが出来てまいりましょう。そのことがまた、すべてのものに対する執着といいますものを取り除いていくことになるのです。
 いま私達は、これらのこと、それらのことを実にさまざまな角度からお伝えし、知っていただきたいと努めているのです。出来るだけ大勢ぜいの方達と一緒に旅立っていきたいものです。
 そのようなことは、今ある地位や智識とは一切関係ありません。いま人々がどのような暮し、生き方をしていましょうとも、その置かれました立場立場でこのことに気付いてくだされば、それで良いのです。
 これらのことは、学問的智識や、いわゆる社会的な常識で解ると言うものではありません。むしろ、下手な智識などない方が良いのです。非常に感覚的なものであると言えるかもしれません。
 さあ、ずいぶん遅くなりました。これで終るといたします。     いえす」
 
以上です。
 
上のメッセージの最初の部分で、すべてを説明しているといってよいかもしれません。
 
「それではいましばらく語り合うと致します。いまからあなた方が向うべき新しい星、新しい世界のことについてなのです。
 この前あのお友達が言っていましたように、どこか他の星から空飛ぶ円盤がやってきてあなた方を乗せていくとか言った、そのような話ではありません。あなた方はすべてその肉体を離れて、あなた方本来の霊的な姿になって、この地球を離れていくのです。それらは、今この地球上に住む人々が一ぺんにと言うことではありません。準備の整った者から次々と飛び立っていくことになりましょう。」
 
では、その(アセンションの)準備が整うということは、どのようなことでしょうか。以下の言葉がその答えです。
 
「本当は、少しも難しくも大変でもないことなのです。人々がすべてのことを素直に、あるがままに受け止め、何ごとにも執着心をを残さないという姿になれば良いだけのことなのです。
 そうです、最終的には、生きると言うことに対しての執着心であると言えるでしょう。あなた方が今生きていること、そしてまた死を迎えますこと、そのどちらも同じことであると知りますならば、おそらくは死に対する恐怖、あるいは生に対する、つまりは生命に対するる執着心を取り除くことが出来るのではないでしょうか。」
 
今、急を要することがあるとしたら、生まれかわり(転生輪廻)の真実を知るということのようです。
 
つまり、転生輪廻が理解できるようになれば、あとは自分の視界が、深く広く開かれていき、世の中の不和、不平等と言ったネガティブな現象の隠れた意味が理解できるようになり、そのことへのこだわりや不満、怒りと言った感情を鎮めることができるとおっしゃいます。
 
キリスト教には、転生輪廻という捉え方が、否定されています。
そのため、ブロッサムさんは、転生輪廻を思い出す、つまり、自分の本当の姿、何故この地上にいるのかを、思い出すことがとても難しいのかもしれません。
 
私たち日本人は、今、転生輪廻を信じる人は、少数派だと思うのですが、明治・江戸時代以前は、その考え方が主流であったはずです。
 
平安時代の貴族などは、この世は仮の世で、いずれみ仏(ほとけ)の世界に行くという死生観を持っていました。
宇治の平等院などは、その思想の結晶といっても良いでしょう。
 
3次元への生へのこだわりを手放すことが出来れば、アセンションは、少しも難しくも大変でもないことになるわけです。
このことは、「人間ドラマ」を手放して、「悲しみと困難な世界」ではなく、「ハッピーで穏やかな世界」を選択することに他ならないでしょう。
 
もう一つの視点として、我さんからのメッセージがあります。
 

その2、我さんのあたらしい十戒

 

「新しき星への誘い」のご本で、「我」さんは、驚くべきことを語ります。

新しき星への誘い」(山田征 著 1990年12月10日 初版) P.205~P.210
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 さあ、そなたよ、我が詩(うた)をこそここにありては記したまえ。我こそはそなたの体使いたる神なると知れ。
 さあ、そなたよ、神なるとは何でありしか。我こそはこの大蒼、この宇宙すべからくつくりだしたる源なると知れ。この源なくば、そなたらすべからき生命(いのち)と言いたるもの、この宇宙にはなかりたる。
 さてその源よりいでたる新しき力こそは、そなたのもとなるかの動きつくりたるいまひとつの力、いまひとつ神なると知れ。我らはこの双つの力にて、この大蒼すべからく創りてある。
 そなたよ、今しばし目覚めていたまえ。我はそなたのこのペン持ちたる腕こそ使いて我が意を伝えることをなせり。我はまことかの旧き契約書の中にて記されてあるエホバなり、まことに幾千年の時を越え、いまこそは、いまふたたびそなたの軽き腕使いて我が直接なる文字こそは記したるなり。いまよりは、かの幾千年の昔にありて、かのモーセなる者になしたるがごとく、我が十戒の言葉こそは記したるなり。
一、これよりは、我が創りしこの大蒼、まことによき姿とはなれり。そなたらことごとく翔きたる浄き姿なり。
一、そなたらまことはすべからく我が分身なるも、そのこと忘れ去りぬ。いまこそはすべからくそのこと知る時至りぬ。
一、人と言いたるもの、ことごとく我が分身、我が分霊なるも、いまひとたびは離れたる者とはなれり。しかるにいまよりは我が元なる源に戻りたるときなり。
一、我が元に戻りたるには、そなたらすべからく生まれかわりの仕組と言いたるものをなせり。そのことの理り、まことに知る時にこそなりたるなり。
一、しかるに、いまそのまま我がふところに戻りたるにはあらじ。いまよりは、いまひとたび他なる星にこそは移りたるなり。他なる星にて、そなたらまことに新しき人とはなりたる。
一、そなたらその星に運びたるは、かの大いなるピラミッドの持ちたる新しき波の力なると知れ。その星の上にていまひとたびは新しき人とはなりたるなり。
一、そなたらその星に運びたるは、かの大いなるピラミッドの持ちたる新しき波の力なると知れ。その波の力、すでにことごとく解き放ちてあり。
一、まずは人々、その力をこそ存分に受けたることこそは先なることなり。直ぐななる姿、心のうちにこそはしみわたりたり。
一、善きかな。そなたら他になしたることはなし。ただなすべきは、直ぐななる心にて、我が伝えし理りこそは、我がものとはなしたまえ。
一、さらに良きかな。我がすべからきものなる源なり。我が言の葉、いまこそはかの者の手にこそ委ねたり。かの者の記したる我が言の葉、まことに偽りなきものにてあり。心して受け止むることこそは幸いなると知れ。
 よいであろうか、これらの言の葉こそは、いま我によりそなたに委ねしことなり。いささかも疑いたることなきものとはなしたまえ。
 幾千年もの昔、我はまたこのようにして、そなたの腕のうちに、かの石版こそは抱かしめたるものなり。そのこといささかも偽りなきものにてあり。そなたの記憶のうちにはこのこと想いいださざるや。
 我はまことにいまふたたび、人々の中よりそなたを呼びい出だせり。そなたこそは我がまことの僕なるも、いまよりは心直ぐなになりて、そのこと信ずることこそはまことなれ。
 信じたまえ。我はいまよりはさらなる世界に向いたることを、そなたの胸のうちにてことごとく現しゆきたり。
 そなたよ、いま再び人々率いてかの新しき星にこそは旅立ちたまえ。かの時にありてはひとりヘブライの民にてありしが、いまより向いたる星にありては、すべからき民人、すべからく伴いゆきたれ。
 我もまた共になしたるなり。我のみにてはあらず。いままでそなたの胸にさまざまに語りかけたる大いなる霊たちことごとく伴いゆきたり。
 我こそはそなたの求めたるまことのものなり。そなたの求めたるまことの神なる我と知れ。良きかな。良きかな。    我にてあり
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以上です。
 
上の新しい「十戒」、十の心構えは、文語体で、分かりにくいと思われるので、勝手ながら、口語体に直させていただきました。
 
一、「我」が作った宇宙は、とても良い姿になった。あなたたちもすべて羽をもった清い姿です。
 
一、あなたたちは、すべて「我」の分身なのですが、それを忘れています。いまこそ、そのことを知る時です。
 
一、人は、すべて、「我」の分身、分霊であるにもかかわらず、今は離れた存在となっています。しかし、これからは、「我」の元に、戻る時が来ました。
 
一、「我」の元に戻るためには、あなたたちは、転生輪廻という仕組みによって、それがなされるという、理(ことわ)りを知る時です。
(注、転生輪廻をくり返すことで、魂の波動が上がっていき、「我」の元に戻るということが、その理りです。)
 
一、しかしながら、あなたたちは、いまそのまま、「我」のふところに戻るわけではありません。今一度、「他の星」に移って、あなたたちは、新しく、本来の人になります。
 
一、その「他の星」とはどのような星かというと、今の地球よりはるかに軽い波動を持った星であることを知ってください。その星の上で、あなたたちは、今一度、新しい人となります。
 
一、あなたたちをその星に、運んでいくのは、あのエジプトの大きなピラミッドにある、新しい波の力(エネルギー)であると知りなさい。その波の力(エネルギー)は、すでに封印がとかれて、全て解き放たれています。
 
一、まず、人々は、その力を十分に受けることを、しなければなりません。素直な姿、心になれば、すべてその新しい力が、あなたたちの体、心の中にしみわたります。
 
一、よいですか。あなたたちは、他にしなければならないことはないのです。ただ、しなければならないことは、素直な心で、「我」が伝える理(ことわ)りを、自分のものとしてください。
 
一、さらに、よいですか。「我」は、全てのものの源です。「我」の言葉を、今、彼(かつて、モーゼスであった征さん)の手にこそ、委ねるものです。彼(征さん)が書いた、「我」の言葉は、本当に偽りがないものです。心して受け止めることが、幸いであると知りなさい。
 
これが、「我」さんがおっしゃる「アセンション」計画の概要です。
 
ここで、重要なことは、私たちは、新しい波の力(エネルギー)を十分に受けて、素直な姿、心になることです。
そして、「我」さんのいう理(ことわ)りを、自分のものとすることがすべてというのです。
その理りとは、次の言葉に集約されるでしょう。この言葉は、「我にてあり」の中に、登場します。
「私の他に有りて在るものはなし
 我はそなたらすべてのものを創りたる
 神なる宇宙意識なり
 そなたら
 すべてのものの源なると知りたまえ」
今、この2018年から、2019年にかけて、新しい波の力(エネルギー)が益々強くなっていると言われています。
私たちは、そのエネルギーを十分に受け取って、素直な姿になり、そのエネルギーに乗って、新しい軽い波動を持った「他の星」に、自然に運ばれていくことになるわけです。
あれこれと、人間思案をせずに、心静かに、ドンと構えていきましょう。