先週の3月20日に、詩吟の教室から帰る時、駐車場で遭遇したトラブルについて、お話しさせて下さい。
それは、運が悪かったといったらそれまでのことですが、いろいろな気付きがあった出来事でした。
毎週水曜日の夜に、詩吟教室に通っているのですが、いつも車を停めるところに、車が停まっていたので、別の会社の駐車場に停めたのが、ことの始まりでした。
 
詩吟の練習が終わり、帰ろうとして、駐車場に来たら、自分の車の真ん前に、大型の車によって、横付けされていました。
 
車の左前方に、車が辛うじて、1台通れそうな空間があったので、車を切り返して、前進させようとしました。
 
一緒に、詩吟教室に来ているKさんが、誘導をしてくれたのですが、車の免許を持っていない人で、誘導が不明確だったので、左側に停車していた車のドアをこすってしまったのでした。
 
そこに、教室の先生が飛んできて、「この車はうちの車だから」といって、キーを渡してくれました。
 
そのキーを使って、車をどけました。教室の先生は、車のことはいいから、今日は帰りなさいといわれて、そのまま帰ったのでした。
 
ぶつけた車は、白い塗料がついていたのですが、それほどへこんでいるようには見えませんでした。
 
私の車も、相手の黒っぽい塗料がついてはいるものの、へこんではいませんでした。
 
やれやれ、対したことがなくて良かったと思っていました。
 
ところが、翌週(3/27)の練習日の夕方、詩吟の教室の先生から、電話がありました。
 
電話口で、突然、「先日ぶつけた車の修理代が、14万4千円かかるそうなので、あなたがぶつけたのだから、払って欲しい。車を横付けした運転手が、『こんな停め方をしやがって』と、カンカンに怒っている。ぶつけた本人として、謝罪にいきなさい。」と、どなられてしまいました。
 
正直、急に言われてびっくりしました。
 
「先生がそこに停めてもいいといわれたから、停めていただけで、別の会社が使っているのだったら、最初から停めるつもりはない。先生の家の車だから『いいよ』って、言っていたじゃないですか。」と、私は反論しました。
 
いろいろ話を聞いてみると、ぶつけた車は、以前は先生のご主人の会社の車であったのだが、今はその会社の社長が変っているので、その社長が見積もりを取って、請求しているというのです。
 
そして、いつも車を停めていた駐車場は、8年ほど前、そこのある社員に許可をもらってはいたが、会社の社長には何も話していなくて、他の社員は知らないということでした。そのため、車が停めにくかった社員に横付けされてしまったのでした。、
 
そして、当日、免許を持っているT君でいたら、適切な誘導をしてくれて、ぶつけることはなかったけれど、運悪くT君が休んでいたことは、不運でした。
 
教室の先生が、ぶつけた車のキーを、持っていると言ってくれて、待っていればぶつけることはなかったのに、何も言わずに家に飛んで行ってしまったことも、不運でした。
いろいろ不運が重なったことが原因でしたが、結局、自分の責任だと腹をくくりました。
そして、このように、起こりえないような出来事が起きる時は、きっと何か別の原因があるのです。
 
そこで、思いついたのが、差押えを進めていたことでした。
直感的に、これをストップして、「債権を手放しなさい」という警告として、受け取ったのでした。
 
そして、その場で、弁護士事務所に電話をして、差押えを取り下げる旨を伝えました。
 
さらに、車のディーラーに電話して、14万4千円について、保険を使った方が良いかどうか僧団して、使わないことにしました。
 
そのことを、ぶつけた車のオーナーに伝えると、14万4千円が、見積もりの8万8千円に下がりました。
 
自分の決心で、現実が変わったので、この決断が正しかったと思いました。
 
そして、詩吟の先生にも、別の会社が使っている駐車場に停めてもいいといった責任があると思ったのですが、そのことは持ち出さず、自分で全額支払うことに決めました。
 
それだけではなく、車を横付けした運転手、ぶつけた車のオーナー、詩吟の教室の先生に対して、手土産を買いにいき、謝罪することにしました。
 
運が悪いと見えるこの事故は、深い意味で、差押えをやめさせる目的で、ハイヤーセルフによって仕組まれたものだと気付いたからです。
 
この事故に関係した人たちは、それぞれの役割を演じてくれたと思い、その感謝の意味もあり、それぞれに手土産を用意したのです。
 
その結果、車を横付けした隣の会社の社員さんは、カンカンに怒っていたそうですが、自分が謝罪に行ったときは、とても穏やかで、8年前にその会社の別の社員に了解を得たことがあるそうですよと話したら、それは知らなかったと今回のことを、理解してくれました。
 
車のオーナーの方も、最初にぶつけたことに対して、一言もなかったことに、怒りを感じていたようでしたが、事情が分かると、納得してくれました。
 
詩吟の教室の先生には、今回のことはそれなりの責任があるとは思うのですが、車を運転しないので、適切な対応が取れなかったことは、仕方がなかった。
すべて、善意でやっていたことが、たまたま裏目に出てしまっただけなので、恨むわけにはいきません。
 
車の修理代を支払うだけで、すべて丸く収まったことは、とても良かったです。
 
この駐車場でのトラブルが、「ノアの方舟」のブログで、債権を手放すことになった裏事情でした。
このように、不運な出来事を受け取る(解釈する)ことは、晃月師から学んだことでした。
「起きたことには、自分で責任を取りなさい。損する道を選びなさい。」と、教えていただいていました。
この事件で、私は、今の自分の在り方が、「それでいいのか!」と、お神、自分のハイヤーセルフから、改めて問われていることを。強く感じています。
今一度、人生の棚卸ろしをします。その一環として、ブログに書いているテーマ、内容も見直します。