私は、「淡々段々」という言葉がとても好きです。
ホノルルマラソンのFinisher Tシャツを着て

2007年 ホノルルマラソン後 Finisher(完走者)Tシャツを着て

人生は、この「淡々段々」を始めたところがら、上向きになっていきました。
「淡々段々」という言葉は、晃月師から教えていただきました。
「物事、何でも、淡々段々や。」という言葉を、よくお聞きしました。
 
「淡々段々」とは、読んで字のごとく、淡々として、徐々に、少しずつ、少しずつ、物事を行うことです。

野球のイチローの言葉にも、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だ。」という言葉がありますが、同じ意味だと思っています。

例えば、マラソン大会に出るために、急いで準備をしようとすると、焦ってしまい、なかなかタイムが伸びず、怪我や故障をしかねません
コツコツ、練習していると、いつの間にか、タイムが伸びて、自然と結果が出て来ます。

晃月師は、毎年、年に2回、修達会と名付けて、五泊六日の合宿を開催されていました。
その合宿の中で、修練といって、木津川沿いの堤防を、20km 走るという時間がありました。
 
老いも若きも、参加者全員が、走るのです。
もちろん、走ることが苦手な人も、得意な人もいます。
 
苦手な人は、てくてく歩いていました。
得意な人は、少しでも早く走ろうと、頑張りました。
 
「毎年、2回、20km を、走らなければならないのだったら。」と思って、毎朝、自宅近くの河川敷にある散歩道を、走ることにしました。
走り始めたのは、2000年で、40代後半の働き盛りの頃でした。
 
毎日、約2km 、土日は、5km を目安に走ることにしました。
雨が降らない限りは、たいてい走りました。
「毎日、良く続くね。」という人もいましたが、習慣にすると、走らないと、かえって落着かないのです。
 
走っているうちに、少しずつ、タイムが伸びていくのが分かりました。
タイムが伸びることが、励みになり、さらに走り続けました。
 
中年のおじさんでも、走るごとに、速くなるのです。
ホノルルマラソンには、2005年から、2008年まで、4回出場しました。
ホノルルマラソンは、30㎞地点くらいからの残りを、疲労と足の痛みに耐えながら、気力だけで走りました。
30km過ぎから、ダイアモンドヘッドの坂に差しかかるので、走っても、歩いているようなスピードになるので、いつもは歩いてしまいました。
ゴールが待つ、カピオラニ公園の直線コースを、最後の力を振り絞って走り抜きました。
いつも走るたびに、感動で涙があふれてきて、「人生観が変わった。」と思いました。
最初、2000年の和歌山JAZZマラソンで、12㎞を2時間36分というタイムでした。1km を約13分のペース。
確か、2013年の和歌山JAZZマラソンでは、10kmを、1時間5分で走りました。1km を焼く6.5分のペース。
倍も早く走れるようになりました。
 
一言でいえば、「やればできる。」という自信がつきました。
その自信は、仕事においても、何事においても、良い影響となって現れました。
 
本当に実現したいことは、毎日の習慣にして、毎日、少しでもやることが、重要です。
それが、「淡々段々」ということなのです。
 
実は、お祈りも、毎日の習慣です。
晃月師に出会い、十三神の祈りをおしえていただきました。
今でも、お祈りの時間は、趣味、食事、洗濯などのことより、何よりも最優先させています。
 
祈るという習慣の効果は、ランニングタイムのような数値としては、測れないのですが、毎日の祈りは、ランニングを遥かに越えて、自分を大きく変えました。
晃月師に指導を受けた15年は、会社を経営していた時期に、重なっています。
その間、順調に経営が続けられて、幸せな人生を味わいました。心から感謝しています。
イチローのような実績は、何もないのですが、十分満足のいく人生だと思います。