先日、「創造主と救世主」というブログの中で、救世主には、様々な神名が付けられているというお話をさせていただきました。
救世主の神名として、「アフラ・マズダ」、「ヤハウェ」、「エホバ」、「天之御中主之命」、「ブラフマン(梵天)などの名前があります。
ペルシャ(現在ののイラン)のゾロアスター教の最高神は、智慧ある神「アフラ・マズダ」と名乗り、善と悪とを峻別する正義と法の神とされています。
日本の縄文時代の神は、天之御中主(この地上のありとあらゆる存在の主)と呼ばれていたようです。
モーゼがホレブ山で、燃えるしばの中に現れた神は、「我は有りて在るものなり」と名乗りました。その言葉が、「ヤハウェ」、「エホバ」の語源となっています。
明治時代、ときの文部大臣・森有礼(もりありのり)は、伊勢神宮の八咫鏡の裏面に、ヘブル文字で、 「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(「我は在りて有る者なり」のヘブル語 出エジプト記三・一四の言葉)と刻まれているのを見たという言い伝えがあります。
その話は、昭和天皇の弟である三笠宮殿下が、真偽をお調べになる約束をされたのですが、結局、その報告はされることなく、殿下はお亡くなりになられました。
明治天皇は、たとえ天皇であったとしても、八咫鏡を見てはならないとおっしゃったそうです。
もし、森有礼元文部大臣の言葉が事実であるとすれば、天照大神の背後にある神は、「ヤハウェ」、「エホバ」ということになります。
大和政権が、古神道が祀る磐座(いわくら)のある場所に、社と鳥居を建てていった背景は、「天之御中主之命」の代わりに、「ヤハウェ」の神を、正統な神として信仰するように改宗させていったと考えられるのです。
その過程では、宗教戦争ともいえる、様々な争いが発生したと思われます。
日本には、もう一つの宗教戦争がありました。
それは、仏教と神道の争いでした。
仏教の伝来に伴い、神道派の物部氏と、仏教派の曽我氏の間で、深刻な対立が生まれます。
「丁未(ていび)の乱」(西暦587年)という宗教戦争にまで発展して、曽我馬子が、物部守屋を滅ぼしてしまいます。
仏教を開いた釈迦牟尼仏は、菩提樹の下で悟った時、梵天(ブラフマン)に出会います。このブラフマンも、救世主であり、アフラ・マズダ、ヤハウェ、天之御中主の命と同じエネルギーである神です。
神の一つの現われが、宗教になるので、本来、大元は一つであるのですが、それが、古神道、伊勢神道、仏教という形になると、争いが生じてしまいます。
我々の神の方が、正しい、貴いという争いが起き、行き着くところ、武力による宗教戦争に発展します。
それは、神が望むことではないのですが、人類のカルマ(業)として、仕方がないことなのかもしれません。