最近は、過ごしやすい季節となり、時々、近くの川のサイクリングロードを、ロードバイクで走っています。とても爽やかです。家に帰って、シャワーを浴びると、すっきりします。
以前、晃月師から、「体の邪気を払う方法でよいのは、お祈りと運動だ。」とお教えいただきました。

ロードバイク

愛用のロードバイク

さて、先日(6/2)、「引き寄せ」というブログの中で、次のような「せいじんの道」という神諭をご紹介させていただきました。

在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

みょうらくに
せいじんの道ゆくならば
ふしぎなたすけいつもあるなり
せいじんは
性正成に誠聖の人
(981218)

上の神諭について、もう少し詳しくお話しさせていただこうと思います。
この中の「性正成に誠聖の人」にという言葉は、晃月師がしばしばお話しされた重要なテーマです。ただし、一見して、何のことをいっているのか、さっぱり分からないと思います。
この言葉について、「晃月神諭(981218)大神のおもいをふかく知るならば」で、次のように説明させていただきました。

「性」人とは、15才までの子供時代、本能、欲望のままに生きるひとのこと。
「正」人とは、15才を過ぎて、自分の責任で、正しい判断基準をもって、正しく生きるひとのこと。
「成」人とは、周りの人から、成るほどと思われるような一角(ひとかど)のひと、一目置かれ尊敬されるひとのこと。
「誠」人とは、その人のいった言葉が、その通りに成る(実現する)ひとのこと。
「聖」人とは、耳と口が王様のひと。
つまり、聞くこと、見ることにおいて、よいものしか入れない。よいものしか出さない。という日止のことである。
ひとは、「性」のひとにはじまり、「正」、「成」のひとになり、さらに、「誠」、「聖」のひとの道に進んでいく。
神がひとに望むひとの生き方とは、そのようなものだ。

性正成に誠聖の人」とは、人間の人生を、大きく五つの段階に分けて説明しているのです。
人間は、「性人」から「正人」、「正人」から「成人」、「成人」から「誠人」、「誠人」から「聖人」を目指す存在であると言っているのです。それが、お神が人間に期待する生き方なのです。

最初の段階である「性人」の生活とは、赤ちゃんから子供の時代の、本能のままの生活を意味します。
欲しくても与えられなければ泣く、我慢をしない段階です。
生まれて2,3歳の幼児は、過去世を覚えている子供もいますが、そのことは、大きななテーマなので、別のブログで、お話をしたいと思います。

2つ目の段階の「正人」とは、正しい人です。
晃月師に「この正しいという基準は、仏教でいう八正道の『正しさ』ですか?」とお聞きしたことがあります。
すると、「そうだ。」と、お答えになりました。
正直びっくりしました。

その頃、高橋信次先生が説かれている、正法に適った生活をすることを、目指していたのですが、それが5段階あるうちの2段階めだったからです。
「それだけ、求められているところが高いということですか?」と、さらに質問すると、「その通りだ。」という答えが返ってきました。
そのため、この「性正成に誠聖の人」のいう「せいじんの道」とは、「生易しいものではないな。」と内心、思いました。

「正人」の次の段階の「成人」は、成人式の「成人」ではありません。
この「成人」は、周りの人から、「あの人は、立派な一角(ひとかど)の人だ。」と、認められるような人を指します。

「成人」の次の段階の「誠人」とは、「誠」(まこと)の人です。
誠(まこと)という字は、言うことが成る、つまり、言った言葉が実現する人という意味になります。
つまり、引き寄せが起きる人を、誠人といいます。
もちろん、引き寄せは、何かを願えば、魔法のようにすべて実現していくというような意味ではありません。

昨日(6/3)のブログ「もう一つのハッピーエンド」の中のRさんとYさんの親子について、面白いエピソードを思い出しました。
その親子が、神社から立ち退くに当たって、大家さんと立ち退き料の交渉がありました。
生々しいお金の話になるのですが、Yさんは、次のようにおっしゃっていました。
「自分は、引っ越し代に、30万円から50万円の上乗せがいいところだろう。でも、母さん(Rさん)に聞いたら、『引っ越し代とは別に、100万円は欲しい』と言っていた。でも、それは無理だと思う。」
結果的に、先方からの回答は、「引っ越し代として30万円、立ち退き料として100万円」という満額回答でした。
Rさんの言った通りに、成ったのです。
Rさんは、誠の人、「誠人」なのだと、改めて感心しました。
でも、Rさんは、外見は普通の元気の良いおばあさんにしか見えません。
Rさんは、自分の願うような人生に自然になって、仕合せな生活ができるハッピーエンドの終末を、迎えることができました。
このように、人生を全うしたいものですね。
最後に残った「聖人」については、いずれ別のブログで、改めて、お話させていただこうと思います。