昨日(6/16)は、父の日ということで、上の息子がプレゼントを持って、遊びに来てくれました。
息子が、父の日に来てくれることは、父親として、とても嬉しいです。
子供たちが、そのような気遣いをしてくれるのは、一人前になった証しだと思うからです。
そして、一緒に夕食に行き、昔話に花が咲きました。
彼が、2006年4月に、この家に戻って来た経緯は、「スムーズにいかない時」のブログに、書かせていただきました。
彼と一緒に、晃月師と走ったの2006年のホノルルマラソンは、とても楽しかった思い出です。
彼は、初めてハワイに行ったことで、「ハワイでの生活は、自分が理想としていた生活だ。」とまで言って、ハワイが随分気に入っていました。
「あの頃は、良かったね。楽しかったね。」と、二人で思い出に、浸りました。
離婚が原因で、長い間離れ離れだった子供が、自分のところへ戻ってきました。めでたしめでたしで、一見、ハッピーエンドに見えるのですが、実は、ここから、彼の自立への道が始まったのでした。
2006年4月から、彼は、私と母と一緒に住むようになったのですが、困った問題が起きました。
それは、彼が自分の部屋の整理整頓ができなかったからです。
彼の部屋は、ゴミ屋敷のように、ペットボトルが散乱し、ゴミとも荷物ともいえない物で、足の踏み場もないほどになりました。
祖母である母が何度も、彼をたしなめたのですが、全く言うことを聞きません。
私は、彼の部屋がゴミ屋敷になったこのは、彼の心の状況が、そのまま部屋のありさまに、現われているのだと思いました。
彼は、子供の頃、母親の実家で、生活している時に、精神的につらい思いをしてきたことを、次の話を聞いて知りました。
「あまり成績が、良くない方だったので、学校から帰る途中で、寄り道をすることが、一切許されなかった。家に帰っても、友達と遊びに、外出することを許されず、ずっと、机の前に座らされていた。まるで、JR西日本の日勤教育のようだった。
しばしば、折檻のように、ベランダに立たされて、家の中からは鍵をかけられた。」
彼の心が、なかなか落ち着かないのは、この育った家庭環境に、原因があると思いました。
おばあちゃんの苦労は、痛いほどわかるのですが、この心の傷が癒えない限り、彼は精神的に安定しません。彼の好きなようにしてあげて、自然に心の傷が癒えるのを待つことにしました。
2012年11月に、私の母が癌に罹ったことで、母の堪忍袋の緒が切れてしまい、彼は彼の母親の元に、戻されることになりました。
彼は、2006年から、自転車店のバイトとして、働き始めました。
そして、あるメーカーに正社員として入社しましたが、低賃金で過酷な残業を強いられました。所謂、ブラック企業だったので、大変なめに遭いました。
現在は、中堅企業で、正社員として、働いています。
そして、あるメーカーに正社員として入社しましたが、低賃金で過酷な残業を強いられました。所謂、ブラック企業だったので、大変なめに遭いました。
現在は、中堅企業で、正社員として、働いています。