私は、1999年12月に、晃月師と出会わせていただきました。その翌年(2000年)の初夏、自宅で、晃月師、直々に、産土之儀を執り行っていただきました。
その経緯をお話させてください。
2000年の頃、私は近所のビルに、会社のオフィスとして、貸事務所を借りていました。家賃が、10万円弱でした。
そのことを、晃月師にお話したら、「月10万円は、もったいない。自宅の裏庭に、い空き地があるじゃないか。そこに、オフィスを建てなさい。」と、強く注意されました。
次に、晃月師にお会いした時に、オフィスのことを改めて問いただされて、「まだ、やっていません。」とお答えすると、「何をもたもたしている。」と、叱られてしまいました。
そこで、早速、中古のプレハブのオフィスを、建てることになりました。
オフィスを建てるに当たり、今から思うと幸いなことに、晃月師に、自宅の産土之儀を執り行っていただいたのです。
そして、2000年7月に、オフィスに観音様を祀っていただき、事務所開きを行っていただきました。
「M先生との出会いと観音様」に書かせていただいたことですが、この観音様は、円(まどか)先生に生(しょう)を入れていただいたものです。
しかし、そのお祀り方については、晃月師には、産土(うぶすな)之儀をしていただき、観音様の設置の仕方も、お教えいただきました。
2000年7月に、この観音様は、経営していた会社のオフィスに祀られました。
それは、会社をお守りいただくためでした。
それから、朝夕、社員と一緒に拝礼を行うことになりました。
拝礼のやり方は、神棚に対して、三礼、四拍手、一礼、一礼、二拍手、一礼を行う、十三神之祈りの簡略の礼その三です。
この簡略の礼その三は、今でも、毎朝、起きたときなどに、ご挨拶代わりに神棚に向って行っています。
観音様をお祀りされたときの、晃月師のお言葉を、今でも覚えています。
「この社には、何も入っていない。空っぽだ。」 つまり、社と観音様に、神様が宿っているわけではないということです。
「これを、目標(めどう)としなさい」と、お教えいただきました。天理教では信仰対象を、目標と呼んでいるようです。
人間は、祈る対象がないと、心もとないので、そのような形を用意するわけです。 さらに、晃月師は次のようなお話をされました。
「祈る心が重要なのだが、祈る心があれば、形もちゃんとすることも必要だ。 いくら形が立派でも、心がなければ、意味がない。 しかし、心と形、どちらも重要だ。」
事務所開きで、一つ不思議なことがありました。
晃月師に祀っていただいた榊が、2000年7月から、翌年2001年1月まで、半年以上、しおれずにもったことです。
それ以降は、夏であれば、1か月も、もたないことが、普通でした。これは、不思議なことでした。