昨日(7/3)、嬉しい電話をいただきました。
電話の主の女性は、数日前に、あわや交通事故に遭いそうになったそうです。
「道路を車で運転していたら、対向車が、かなり遠くのところから、センターラインをはみ出し、私の車方に迫ってきます。
これは、危ないなと思っているうちにも、どんどん近づいてきます。
相手の運転手は、スマホを操作していました。
あわや、と思った寸前で、彼は顔を上げて、キュッと一瞬でハンドルを切ったので、何ごともなく済みました。
この出来事は、一体どんな意味があったのでしょうか?
黒川さんの意見を聞きたいのですが。」
と、彼女に訊ねられました。
私は、次のようにお答えしました。
「昔、晃月先生は、
『邪や魔はお神に祈っている人を狙っている。
ここ(晃月師の元)に来ている人は、邪や魔に指名手配されていると思いなさい。』
と、良くおっしゃっておられました。
一生懸命、神仰をされているので、邪や魔に狙われたのではないですか?」
「そうなのかなあ。
最近、黒川さんのブログを見させてもらっています。
比叡山にまで、登られて、本当に神一条だなって思いました。
松川先生も喜ばれているんじゃないですか?
私達も、黒川さんのように、もっと松川先生の近くで勉強していればよかった。」
「確かに、そうかもしれないけれど。
自分より、もっと晃月先生の近くで勉強されていた方はおられたと思います。」
と答えて、内心、「現在でも、晃月先生に教えていただいたお祈りを、彼女たちの夫婦のように、続けておられる人は、どのくらいいるのだろう。」と思いました。
「最近、黒川さんのブログを読むようにしているんですが、メッセージ性があるというか、黒川さんの思いが良くこもっていて、とても良いと思います。」
という言葉を、彼女からいただきました。
「それは、僕にとって、最高の誉め言葉です。」
「黒川さんのようには、なかなかできないと思います。」
「完全にリタイアしているので、経済的に許される範囲で、行動しているだけです。
それぞれ、自分が出来る範囲でやればいいと思う。」
と答えました。彼女には息子さんがおられて、その教育にお忙しいのです。
私は、次のように、お話ししました。
「今回、あわや交通事故になるところを、お神に助けていただいたのは、お神の不思議な助けがあったからですね。
大難を小難、中難を無難に、納めていただき、本当に良かったですね。」
『せいじんの道ゆくならば ふしぎなたすけいつもあるなり』
とは、このことです。
彼女は、「本当にその通りですね。」と、嬉しそうです。
「お神に感謝ですね!」といって、電話を切りました。