昨日(5/30)、ある方から、7月に山田征さんが名古屋に来られるという連絡をいただき、お話し会に、参加させていただくことになりました。楽しみです。

今朝(5/31)、いつもの神社で、Tさんにお会いして、6月に比叡山延暦寺の行事に、一緒に参加させていただくことになりました。

在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

さて、この5月は、物質循環の月ということもあり、別荘地を見に行ったり、GLA関西本部を初めて訪問させていただいたり、様々なことが起きました。

晃月師は、よく次のようなことを、おっしゃっておられました。

「5月という物質循環の日も、今日(5/31)で最後だ。明日からは、人間の完成を目指す6月がはじまる。その後の7月8月9月は、お神に任せて過ごしなさい。」

以前(2019/2/9)のブログ「人の言葉、神の言葉」で、「お前とは、心が通わない。お前の祈りなど、神に届いていないわ。」と言われたことを書かせていただきました。

これは、2年前(2017年)の12月1日の月例祭の出来事でした。
実は、この言葉を話されたSさんは、昨年(2018年)の秋に「門の外」を言い渡されて、今では、もうお祈りに参加させてもらえなくなりました。

「門の外」を言い渡された理由というのが、炭焼きの煙の色の判断を間違えたというものでした。

Sさんは、ご夫婦でよく竹炭焼きのお手伝いをされていました。
竹炭焼きのポイントは、薪で焚いた窯の火を止めるタイミングを、煙の色で判断します。
煙の色が白から、青い色に変わるときに、火を止めます。
そのタイミングを見誤ったというのです。

そのような些細なミスは、破門するようなことではないと思うのですが。

ご夫婦は、献身的に尽くされていたので、その仕打ちには、憤懣やるかたないご様子だったそうです。

竹炭焼き作業は、晃月師が始められたことですが、それが、重要な神事であるとは、晃月師から聞いたことがありません。

そのSさんのことについて、昨年(2018年)、ある信者の方と電話でお話する機会がありました。

「Sさんを切るのは、痛いのと違うんかな。問答(神の言葉)は、自分は信じてない。」

というようなことを、おっしゃいました。あくまで、秘密のしておいて欲しいと言われましたが、名前を出さなければ、誰か分からないので、大丈夫でしょう。

この方の姿勢は、「面従腹背」そのものといってよいでしょう。
このブログは、チェックされているようで、また、犯人探しがはじまるかもしれません。
形だけの信仰で信者を縛っても、信者の心までは、コントロールできません。
このブログの冒頭のTさんも、以前、ある教団に所属されていました。
その教祖の振る舞いに、しばらくは面従腹背をされていたようですが、いい加減愛想が尽きて、その教団を退会されました。
現在は、お一人で、比叡山、橿原神宮、伊勢神宮、熱田神宮などを定期的に参拝されて、西国八十八か所巡りなどで、全国を駆け巡っておられます。
誰にも、邪魔されずに、ご自身の神仰をされておられます。
自分の心のおもむくままに、神を仰ぐ神仰(しんこう)こそ、人間本来の姿ではないでしょうか。