守護霊との交流 その1」の中で、守護・指導霊から、声が聞こえる場合、「魔」ではないかと疑ってかかった方がよいと、書かせていただきました。
GLA関西本部の壇上

GLA関西本部の壇上

私たちは、姿なき声が聞こえる場合、それは悪魔であったり、動物霊であったりすることがあるので、先ずは、「魔ではないか?」疑ってかかることをお薦めいたします。
 
高橋信次先生は、常々、「人間の口を通して出て来る神を信じてはならない。」と、おっしゃっておられました。
 
信次先生のご著書「悪霊I」、「悪霊II」には、動物霊や魔王に憑依されてしまった人々の悲劇が描かれています。
 
そのように、悪魔に憑依されて語り出す、新興宗教の教祖や、霊能者は、必ずといって良いほど、金品を要求します。
 
そのような宗教は、誤った信仰です。
「さわらぬ神に祟りなし」の諺があるように、このようなところは近づかないことです。
 
お金や物を要求する教祖や、霊能者は、姿なき声を、守護・指導霊であったり、本当の神の言葉として、信じてしまうところから、誤りが始まっているのです。
 
ユーチューブに、神様や宇宙人の声を伝える子供たちが、登場していますが、そのような子供たちは、大人に成長していくうちに、そうした特別な能力を失っていくことが多いです。
 
その理由は、神様や宇宙人の証明者としての使命を持っているため、その役割、使命が果たされたならば、普通の人間に戻るということなのです。
 
普通の人は、霊的能力を求めるべきではありません。
 
何も不思議、奇跡を行わなくても……」というブログを、以前、書かせていただきました。
 
このブログの中に、山田征さんの娘さんが、「人を救うには、不思議な奇跡を起こす力が必要なのだろうか?」と考えていたら、天使たちから、次のように、強く叱られたお話が載っています。
山田征さんの「ふたつの世界の間に立って」というご本の207, 208ページから、引用します。
”不思議や奇蹟をおこさなくたって、人は充分に救けられますし、必要であれば人を集めることだって出来るのです。でも、本当に必要なことは、そんなことではないと思いませんか? 何の不思議をみせなくても、すぐ近くに居る人に優しい言葉をかけたり、手を差しのべたりすることは出来るのですよ。みんな、その、すぐに誰でもできることをしていないだけなのです。あなた達がしなければならないことは、まずそういうことではないですか?……”
まさに、その通りなのです。
ちなみに、この山田征さんの娘さんは、このように、天使とお話しする力を持っていたのですが、彼氏ができると同じころ、失ってしまったそうです。
こうした見えない存在の言葉を降ろす能力として、チャネリング、自動書記などがあります。
チャネラーとは、天使や、宇宙人の言葉を伝えるのが、使命であり、役割です。
その良い例が、ブロッサム・グッドチャイルドさんであると、私は思っています。
ブロッサムさんや、バシャールをチャネルするダリル・アンカさんは、フルトランスのチャネラーです。
フルトランスのチャネリングとは、見えない存在が、完全にチャネラーの体を支配して行うチャネリングのことです。
フルトランスではないチャネリングは、実は、誰もがやっていることです。
つまり、インスピレーションや直感です。
それが、声なき、守護・指導霊と、対話をしたり、交流することなのです。
ですから、「何も不思議、奇跡を行わなくても……」という言葉通りといえます。
守護・指導霊との交流を、難しく考えることはないのです。