このブログでは、ブロッサムさん、ブラッド・ジョンソンさん、アデーレさん、などのチャネラーの方々が、登場されてきます。
チャネリングのメッセージのお陰で、いつも楽しく、勉強をさせていただいています。ありがたいことです。

二つの世界の間に立って 表紙

ブログの読者の方たちの中には、「自分もあんな能力があったらいいなあ。」と、思っておられる方も、おられるかと思います。

ここで、ご紹介する「何も不思議、奇跡を行わなくても……」というお話は、山田征さんのご本、「光と影のやさしいお話」シリーズの8冊目のご本「ふたつの世界の間に立って」(1995年9月10日 初版)の中のエピソードとして、収められています。

チャネラーや、不思議を行う霊能者に憧れておられる方に対して、ひとつのアドバイスになると思います。
二つの世界の間に立って 本文

何も不思議、奇跡を行わなくても……

「ふたつの世界の間に立って」 P.207–210  
↓===============================================↓
 昔、娘達にまだいろんなことがあった頃の話しのひとつです。
 その頃、私達の住んでいたアパートのトイレは、下がタイル張りで、木製のサンダルが置いてありました。
 さて、ある日のこと、そのトイレに入った直子が、その木製のサンダルの片方をつっかけたまま、派手な音をさせとび出し、私のところにやってきました。
「ねえね、お母さん、いまね、私、すっごく怒られちゃった!!」と、”すっごく”にことの他力を入れて、訴えてきました。
「誰に?」
「あの人達よ」
「なんで?」
「あのね……」
 その頃はもう”あの人達”といえば、つまりは眼には視えないあの人達のことに決まっていました。
「あの人達がなんて怒ったの?」
「あのね……」と彼女は、その叱られた理由(わけ)を話し始めました。
 つまりは、そのトイレに入る丁度前に、ある考えごとをしていたそうでした。考えごとをしながら入ったと言った方が良いかもしれません。
「世の中には、いろんな宗教や何か沢山あって、各々にその始めた人というか、教祖さまがいて、信者さん達をたっくさん集めて、いろいろやっているけれど、その教祖さまというか、その宗教の始りの人って、たいていほとんどの人が、奇蹟というか、不思議な力を持ってたり、してみせたりしていたようだけど、そういう人になるには、つまり人を集めたり、人の上に立ったり、人を救けたりするには、奇蹟を起こさないとなれないのかしら……」
 と、つらつら考えていたそうでした。その時、彼女がそんなことを考えたのは、その時みていたある週刊誌の中で、過去から現在(いま)に至るいろんな宗教団体やグループの、そもそも発端となった人達の持っていた不思議な力や、奇蹟話しの記事を特集していた頼しいのです。
「なんて叱られたの?」
「”あなた達には、そんな力は要りません”ていうの」「”不思議や奇蹟をおこさなくたって、人は充分に救けられますし、必要であれば人を集めることだって出来るのです。でも、本当に必要なことは、そんなことではないと思いませんか? 何の不思議をみせなくても、すぐ近くに居る人に優しい言葉をかけたり、手を差しのべたりすることは出来るのですよ。みんな、その、すぐに誰でもできることをしていないだけなのです。あなた達がしなければならないことは、まずそういうことではないですか?……”っていうの……、ああびっくりした……」
 と、そのめったに怒ることのない人達に強くいいきかせられたことで、彼女はほんとに驚いたようでした。
「とにかく、サンダル脱いで来なさい……」と言いながら、私もすっかり考えさせられてしまいました。言われてみれば、それはごく当りまえのことなのですが、とかく人は、不思議や奇蹟、超能力とでも言うのでしょうか、そうしたものを求めたり、覗いたりしてみたがりがちです。私も、やはり不思議な話しには興味がありましたし、自分にも何がしかの奇蹟のようなもの起こせたらいいな、と思わないこともありませんでした。ですから、そんなことしなくても、そんな能力(ちから)なんてなくても、いくらでも人を援けることは出来る、といったあの人達からの叱責は、心に痛いものがありました。
 それ以来、私は、いろんな本や話しの中、いろんな処でそうした奇蹟話しを耳にしますと、その時胸を刺した言葉の持つ意味を、反射的に思い出してしまいます。そんな、人を驚かすような不思議な力なんて要らないんだ、と、人には、もっともっと大切で、しなければならないことが沢山あるではないか……と、現代(いま)を生きる一人一人の人が、ほんのちょっと心し、気をつけて生きるだけで、世界全体ではどれほど大きな成果となり、奇蹟となって表れ得るだろうか……と、それをしないで、なんで不思議(超能力)や奇蹟ばかりを追いかけるのかしら……と。
 そうですね、何度も同じことを言ったり書いたりするようですが、とにかく現代というこの時代、そこにもここにも、あっちにもこっちにも、はるかかなたの国々にも、それこそ沢山の霊能者、超能力者、神さまの生れ変りと称する不思議の出来る人達が続出しています。国内、国外、そうした人達を次々と訪ね歩く人達のなんと多く在りますことか……。でも、いまとなっては、それもこれも、まあ、いいんじゃない、みんな各々好きなこと、好きにやっているんだから……なんて、前程ムキになったりしなくなりました。
 つまり、六年前、この五月十五日のノートを書いたときと、いまの私では、少しばかり考え方、気分がちがっているような気がしながら、これを書いています。     征
↑===============================================↑
以上です。
 

山田征さんは、預言者といって、神の言葉を受け取られる方なので、チャネラーとは、別格の存在です。
その征さんが、次のような体験を、告白されておられます。

「私も、やはり不思議な話しには興味がありましたし、自分にも何がしかの奇蹟のようなもの起こせたらいいな、と思わないこともありませんでした。ですから、そんなことしなくても、そんな能力(ちから)なんてなくても、いくらでも人を援けることは出来る、といったあの人達からの叱責は、心に痛いものがありました。
 それ以来、私は、いろんな本や話しの中、いろんな処でそうした奇蹟話しを耳にしますと、その時胸を刺した言葉の持つ意味を、反射的に思い出してしまいます。」
一般人の私たちは、チャネラーの方たちのような、特別な能力は必要ないと思います。
私たちは、今、自分に与えられた能力を大切にして、心して、しっかり自分の役割を果たしていきたいものですね。