今年(2020年)3月2日から、このブログ上で、「新・復活」(よみがえったる聖書の原点)の公開を始めました。
ただし、信次先生の手書き原稿の後半部分は、ブログ上で、公開していませんでした。
「『新・復活』その9 一つの神理、一人の指導者」を公開し終えた時、直感で、公開しないことにしました。
「新・復活」を公開することで、どのような反響があるのか様子を見たかったからです。
否定的な感想は一つもありませんでした。
このブログをお読みになっておられる読者の方たちは、裁いたり、否定する人が、あまりおられないのかもしれん。
一部の方には、残りの半分の「新・復活」を、読んでいただきました。
以下は、いただいた感想です。
Aさん 読み終えた感想ですが、人が神の子として生きるのは厳しいと改めて思いました。 あの〇〇さんでさえ、サタンにやられてしまったとは…。でも、●●の幹部の人達はほとんどがそうだったと聞いていました。
Bさん 読ませていただきましたが、 〇〇さんの、中傷にルシフェルが入り込んだくだりなど、 精妙な心の制御がまずないと、やられてしまうということですね。
お二人とも、サタン・ルシエルが巧妙に、心に忍び込んできて、いつの間にか、サタンに操られてしまうという部分に、ショックを受けたようです。
そうした感想を踏まえて、「新・復活」の後半部分を公開することにいたしました。
高橋信次先生が命がけで遺された「新・復活」ですから、いずれ、必ず、公開するつもりでした。
しかし、自分がl公開することになるとは、思ってもいませんでした。
しかし、自分がl公開することになるとは、思ってもいませんでした。
「新・復活」その10 サタン・ルシュエル 姿を現す
紀州白浜 南海の海に真赤な大きな太陽が沈もうとしている 水平線から一艘二艘三艘と白浪をけって 漁船が帰って来る ポンポン船の音が港を包む山々にこだまする。 研修会の人々も全員 集まったようだ。
その時だった。
ミカエルは又姿を現わし 「主よ ルシュエルが来ております 気をつけて下さい……」 私は一瞬、ルシュエルという名前について考えて見た。
「ミカエルよ かつて そなたの弟子、ルシュエル天使のことか 彼は地上界に生まれた時、確か、サタンと呼ばれた人間であったね-」
「その通りでございます 主や私の前にはだかろうとしております 十分気をつけて下さい-」
側に坐っていた佳子も 「パパー サタンが近ずいているわ 昨夜、大阪の都ホテルに泊った時に、東京から来た講師と関西から来た講師の心の隙を狙っておるのよー」
「私も 昨夜からわかっていたのだ。 今日は講師団を研修することが大事だ。 二三名の人々に注意しても効果はあるまい 全員、講師団を前に出して「正法と魔」というテーマで私は講演しよう
ミカエルよ そなたは、佳子の声帯を支配して、天上界の声を聞かせておくれ サタンがいかにして、人々の心の隙に入り込んで混乱をつくり出すかを、実証して欲しい…」
「はいわかりました」
「佳子 あなたは 心を正して ミカエルの意志が自由に通ずるように 常に浄化しなさい」
「パパ わかりました。」
私の意志は、即座に、研修実行委員に連絡されて、全員、会場に集合がかかった。 一番、前列に出された 講師団は二十数名。 理由もわからぬまま、私の来るのを待っていた。
ざわめいていた 会場は一瞬、水を打ったように、静まり返って行った。 しかし、東京から来た女性の講師が一名会場に姿を現らわしてはいない。 私は、至急に講師を呼びにやった。
彼女は暫くしてから、会場にやって来た。 東京の事務局にいる講師と京都から来た講師は非常に気分が重いようである。
昨夜から、感情の波が粗悪のまま私の心に伝わって来る。
「わてはもう 講師はこれを最後にしておきますわ 一歩から 出なおしやす……」
彼らが、白浜にくる電車の中で、語り合っている言葉が、私の胸の中から聞えて来る 彼等が、サタンに踊らされている 丁本人達なんだ と思った。
本部の事務局から来た講師は 「先生は、自分の子供に甘くなってしまった すっかり子供の言葉を信じている 恐ろしいことだ
先生は、サタンにまどわされている しかし、先生の説いている法は間違ってはいない。 僕等は法を信じていこう」
他の東京の何人かの講師も、名古屋の講師たちも 「そうだ 俺達は誰を信じていいのかわからない。 法を信する以外にはないだろう 先生は サタンに まどわされているのだ。 俺達は法を信じよう……」
一人一人から、発信されている心の波動はすべて本末転倒していた。 正しい法を説いている 師を信じないで なぜ正法が信じられるのだろうか。
手にとるように、一人一人の心の中で思っていることが分かってしまうからである。 私は悲しかった。
ここで、大天使ミカエルが、若かりしころの高橋佳子先生を通して、正法を語っているシーンは、まさに圧巻です。
これは、ビデオに収録されていて、例えば、GLA関西本部には、保管されています。
最後に、「私は悲しかった。」とあります。
先生は、多くのお弟子さん、即ち、講師の方々に、裏切られたことを、悲しんでおられるのではないです。
何年も、手塩にかけて育成してきたお弟子が、サタンによって、いとも簡単に操られて、
「師が説かれた法は、信じるが、師は間違ってしまったので、師は信じない。」
という本末転倒していることに、気づけていないことが、悲しかったのだと思います。