今回のブログは、「『新・復活』その18 1976年4月11日大講堂講演2」の続きです。
「新・復活」原稿_サタン・ルシュエル現す

※ この「新・復活」は、1976年に、高橋信次先生によって、書かれました。

この中で、高橋信次先生は、大脳が記憶装置であるという現在の学説を、はっきり否定しておられます。

 現代の科学者達は、私達の大脳皮質に記憶装置があるのだと、間違った判断をしています。
 その科学的根拠はどこにもないのです。

「新・復活」その19 1976年4月11日大講堂講演2

 現代の科学者達は、私達の大脳皮質に記憶装置があるのだと、間違った判断をしています。
 その科学的根拠はどこにもないのです。
 若し大脳皮質が総ての記憶室であるとしたならば、眠っている時に、私の耳も鼻の穴もちゃんとあいています。
 なぜ聞こえないのでしょうか、なぜ臭いがわからないのでしょうか。
 一定の振動以外のものはキャッチすることが出来ないはずです。
 悲しみだけが大脳皮質に記憶されているならば、眠っている時も悲しいはずです。
 楽しいことだけが大脳皮質に記憶されているとしたならば、眠っている時も楽しいはずです。
 しかしどんな悲しいことも、眠っているときは忘れています。
 楽しいことも忘れています。
 私達の脳細胞は約二百億近くの細胞集団に依ってつくり出されており、視覚神経の細胞、皮質の一つの細胞は赤なら赤をとらえ、決して白をとらえることはないのです。
 総て電気的振動の発信と受信装置にしか過ぎません。
 嗅覚も味覚も総てその使命を持った嗅覚神経、味覚神経の神経線維がキャッチし選択して振動を発信しているに過ぎないのです。
 原子肉体から送られた発信受信は、光子体の次元の異なった脳に送られ、その船頭さんに送信されて総て判断されるのです。
 船頭さんとは魂であり、その中心に心が存在している。
 心眼で始めてこの実体をとらえることが出来るのです。
 私達は、両親から戴いた肉体舟に乗ってしまうと、肉体舟の眼や鼻・耳・舌・身の五官をよりどころとするために、霊眼心眼、霊聴の力が鈍化し、物質的な世界しか確認出来ないようになってしまうため、物に溺れ情欲本能に溺れて、心の中に曇りをつくり出してしまい、自から、神の光をさえぎり、盲目の人生を送ってしまうという結果になってしまうのです。
 こうして人生の苦悩は、自からつくり出してしまうのだといえましょう。
 私達が此の地上界に生まれて来た時は、誰も丸く豊かな心の持ち主で、みな天上の世界から、より豊かな魂をつくり、調和された地球生活を送ることが目的であり、使命でありました。
 そのため、生れたばかりの赤ちゃんは、何の罪もなく、天真爛漫、仏のような心の持ち主なのです。
 生まれおちるとともに、心の中に記録されている過去の一切は潜在されて、人生の一歩から修行が始まるのです。
 心の中の本能の領域が自然に芽生えて、母親の乳房を吸うのも、生れる前に既に食べることを知った魂であることを知っているからである。
 やがて感情の領域が働き、おしめが汚れれば汚いと知らせるでしょう。
 生れた環境や教育・思想・習慣が、心に作用し、智性が発達して行きます。

「良くわからせていただきました。本当に有難うございました」
と心から礼を言って腰をおろした。

 
以上、です。
 
脳が全てを記憶しているとしたら、寝ている時、耳も鼻もあるのに、その間、なぜの音や匂いの記憶がないのでしょうか。
 
 若し大脳皮質が総ての記憶室であるとしたならば、眠っている時に、私の耳も鼻の穴もちゃんとあいています。
 なぜ聞こえないのでしょうか、なぜ臭いがわからないのでしょうか。

私は、脳について考える時、ペンフィールド(1891年1月26日生まれ-1976年)というカナダの大脳生理学者のことが思い浮かびます。

ワイルダー・ペンフィールド 1934年撮影

ワイルダー・ペンフィールド 1934年撮影

彼は、手術時に露出されたヒトの大脳皮質を電気刺激し、その結果生じる反応を調べ、精密な大脳の機能地図を作りました。

大脳の機能地図、脳内の小人

大脳の機能地図、脳内の小人

さらに手術時に側頭葉を電気刺激する事により、フラッシュバック現象(過去の特定の記憶が呼び出される現象)を発見しました。
 
ペンフィールド博士のこうした研究成果と業績は、20世紀の中頃のものです。
 
半世紀以上経った、2020年の現在においても、大脳の記憶のメカニズムや、フラッシュバック現象、デジャブ(既視感)などについて、統合的な説明は、未だになされていません。
 
信次先生は、脳について、次のように結論付けておられます。
 総て電気的振動の発信と受信装置にしか過ぎません。
 
このことを、言い換えると、脳とは、筋肉などを動かすアクチュエータと、五官の感覚を受信するセンサーとを、コントロールする精密な制御装置(コンピュータ)に過ぎないということになるでしょう。
 

その大元の指令を出しているのが、意識ともいうべき、心なのです。

原子肉体から送られた発信受信は、光子体の次元の異なった脳に送られ、その船頭さんに送信されて総て判断されるのです。
 船頭さんとは魂であり、その中心に心が存在している。
 心眼で始めてこの実体をとらえることが出来るのです。

 

私たちは、肉体から送られてくる信号を、光子体という次元が異なる体にある脳で受け取って、その船頭さんによって、全て判断されます。※ 光子体とは、高次元の肉体のこと。
船頭さんとは、魂であり、その中心に心があるのです。
心眼を持っている人には、その実体を捉えることが出来るのです。

 私達は、両親から戴いた肉体舟に乗ってしまうと、肉体舟の眼や鼻・耳・舌・身の五官をよりどころとするために、霊眼心眼、霊聴の力が鈍化し、物質的な世界しか確認出来ないようになってしまうため、物に溺れ情欲本能に溺れて、心の中に曇りをつくり出してしまい、自から、神の光をさえぎり、盲目の人生を送ってしまうという結果になってしまうのです。
 こうして人生の苦悩は、自からつくり出してしまうのだといえましょう。

 

私たちは、生まれてくるときに、母親からいただいた、肉体舟に乗ります。
肉体舟に乗ってしまうと、肉体の五つの感覚器官である、眼、鼻、耳、舌、身体の感覚だけを依りどころにします。
すると、霊視、霊聴などの能力が鈍くなり、物質的な世界しか確認できなくなります。
その結果、物に溺れて、情欲や本能に溺れて、潜在意識である魂と、表面意識の間に、曇りを作り出して、自分から神に光をさえぎって、盲目の人生を送ることになるのです。
このように、人生の苦悩は、自分で作り出してしまうのです。

 私達が此の地上界に生まれて来た時は、誰も丸く豊かな心の持ち主で、みな天上の世界から、より豊かな魂をつくり、調和された地球生活を送ることが目的であり、使命でありました。
 そのため、生れたばかりの赤ちゃんは、何の罪もなく、天真爛漫、仏のような心の持ち主なのです。
 生まれおちるとともに、心の中に記録されている過去の一切は潜在されて、人生の一歩から修行が始まるのです。

 

私たちは、この地上世界に生まれて来た時は、誰でも丸く豊かな心の持ち主です。
全員が、天上の世界から、より豊かな魂を作って、調和された地球での生活を送ることが、目的であり使命です。
そのため、生まれたばかりの赤ちゃんは、何の罪もなく、天真爛漫、仏様のような心の持ち主ばかりです。
それが、生まれおちると、心の中に記憶された過去世の記憶は全て潜在して、まっさらな人生の一歩が始まるのです。

これが、高橋信次先生がお説きになった神理正法です。
この人間の原点を、多くの現代人は忘れてしまっているといえるでしょう。
重要なことは、この原点を忘れずに、物や情欲に溺れることなく、生まれてくるときに、自分が設定してきた人生の目的、使命を果たして、人生を体験していくことなのです。