十三神の神々のうち、「惶根之命」に続いて、8神めになる「雲読之命」(くもよみのみこと)のお話しになります。八柱之大神の8神のうち、ようやく3神まで来ました。
晃月師からは、雲読之命様は、出入りの大神様と、お聞きしておりました。
晃月師からは、雲読之命様は、出入りの大神様と、お聞きしておりました。
八柱之大神 その3 雲読之命 (やはしらのおおがみ くもよみのみこと)
第三の守護神さまのお話をしたいと思います。出入りを差配する大神さまであります。
私達が食べ物を取り排出を繰り返し、命を維持しているのはこの大神さまの働きによるのです。
第三番目に出てくるというのも、象徴的です。3という数霊は、安定の理を持ち、良きも悪しきも安定して巡ると教えられていますから、理分け(訳)が正しく良きものであることが大切です。(注、数霊については、いずれまとめて、ご説明いたします)
八柱之大神その2惶根之命の理合いが理分けでありました。
そう言えばこのメッセージを発表する7月15日も象徴的な数霊ですね。四星の日です。この教えの広がりを予感させます。神と共に、人として完成を目指して歩みを続けると読めます。それぞれ3と7月15日の7,6,4の数霊の意味する理合いは、順に、「現世安定の理」「神霊因縁循環の理」「霊止現世完結の理」「因縁広がる理」であります。
この大神は、エネルギーの出入りを差配しているというわけですが、その事は、私達の身体の正面にこの神がたたれると言うことでもわかります。(注、目に見えるわけではないですが、人間の体の真ん前に、雲読之命はお立ちになります。)
私達はお互い正面向いて話を普通します。分かり合えると言うためには、さらに第4の神国狭土のつなぎが必要ですが、人間関係は、この様にエネルギーの交換作用によって生まれます。生命が育つにも、エネルギーの出入りは必要です。
この様に、この大神はミクロの存在に働きかけ、このミクロなる物を生かす役割を果たすのです。
また、私達は、水気の上げ下げによって生命を維持しますが、今般のように、大雨災害が頻発するのを見ると、この大神が怒っておられると感じるわけです。何に怒っておられるかというと、己が可愛いばかりの心根です。己さえ良ければ他人がどうなろうとと言う心遣いです。
私は、早朝6時から8時に大雨になる最近、人のことを思います。この大神は、毎日この時刻になると私達の身近にお立ちになります。
また、毎月8日のお昼時から10日の深夜12時に大雨が降ると、気分が憂鬱になります。この日の間に、この大神が、人々の心根を感じ心根をただすようにお諭しいただいていると感じるからです。
また、3月21日から4月20日、天気が悪いと悲しくなります。桜が咲いても、その花の祝福が無駄になってしまったと感じるからです。
そんなときは、右手中指を印に組んで、この大神のお許しを願うことにしています。
また、この印は、二親等内の女系の人間関係のもつれを修復し、鎮めていただくのに効果があります。女系の人間関係のもつれは、エネルギーの交換作用のもつれであることが多いものですから。
また、水気が詰まって出来る癌などの疾病のうち、胃腸腹に出来る重大な身上を祓うこともこの印によってなす事が出来ます。これらの、事情、身上は雲読之命さまと我々が呼称する大神さまの働きが、薄くなっていることに原因があると気付かされます。
全ての命ある物に、エネルギーをお与えになり、命を維持させる大神さまが第三の大神出入りの大神雲読之命さまであります。
【解説】
この晃月師のメッセージは、ちょっと難解です。
このメッセージを読み解くためには、「数霊」、「八柱之大神の理合い」、「印綬」などを、理解する必要があります。
これらのことを、理解していただくためには、非常に多くの解説が必要になりますので、それらの説明は、いずれどこかで改めてさせていただきます。
この雲読之命様は、エネルギーの出入りをつかさどる大神様です。
この大神様が、一番強くお働きになる時間帯は、1日のうちでは、早朝6時から8時の間になります。
晃月師より、この時間の中で、日の光を浴びるとよいと教えていただきました。
日を浴びながら行う瞑想を、「日抱き瞑想」(ひだきめいそう)といい、瞑想法の一つとお教えいただきました。
そのため、私は朝の6時から7時の間には、目を覚まして、窓を開けて、部屋に日の光を取り入れます。
そして、洗面、トイレなどを済ませて、近所の神社まで出かけます。
神社でお参りをした後は、600mある自宅までの道のりを、軽いジョギンで戻るか、あるいは、近くの河川敷きのサイクリングロードまで行き、自転車で走ってから戻ってきます。
食事前に、15分から、30分くらいの運動することになります。
この習慣は、雲読之命様のご守護をいただける時間帯に、日の光を浴びるとよいという教えを、伺ったことがきっかけとなって始まり、かれこれ、10年以上続いています。