病気の原因」というブログを、9月22日に公開させていただきました。その元となった、松川晃月師が、直接書かれた文書が、出てきましたの公開させていただきます。
松川晃月師 ポートレイト
この文書は、非常に難解です。前の「病気の原因」のブログには掲載していない部分があったので、抜けている部分を抜き出して、補足説明を加えさせてください。

ユニバーサル アプローチ <普遍的な手法>

はじめに
 本年(2004年7月4日に、この文章を作成)は「理分」の年とお聞きしていますが、私のお役目と考えております『神真医学』の確立に少しでもお役に立てるよう修養・修達会員の皆様に、現在 までの修報・修養会・修達会資料に加え、中山みき様のおふでさきによる、身上さとし・「八つのほこり」の説き分けを抜粋してまとめましたので、各会員の今後の「おたすけ」の一助となればとねがいます。

《補足説明1》
(1) 「理分(りわけ)」の年
2004年(六星の年)は、神の理を理解する年という意味です。
六星は、人間の完成を意味します。数霊のブログを参照してください。
理分とは、理分けの神である「惶根之命」のブログを参照してください。

(2) 修養・修達会員
晃月師が主宰された「晃月神諭会」は、2015年12月に解散しました。
修養・修達会員とは、「晃月神諭会」での一定の要件を満たした会員を指します。

(3) 『神真医学』
晃月師は、この『神真医学』を確立することに、並々ならぬ意欲を持っておられましたが、志半ばで、帰天されました。

(4) 中山みき様のおふでさきによる、身上さとし・「八つのほこり」
晃月師は、元は天理教(天理中学、天理高校)で学ばれた方で、天理教教祖の中山みき様(通称、おやさま)をいつも尊敬されていました。
身上さとし・「八つのほこり」の元は、天理教の教えです。

(5) 「おたすけ」の一助
「晃月神諭会」の修養・修達会員は、「おたすけ」、つまり、晃月師の代理として、「お神の取り次ぎ」をすることが、与えられた役割でした。
「お神を取り次ぐ」ということは、人とお神の間の仲介役をする(チャネルになる)ことです。
そのことで、病気を治す手伝い(ヒーリング)をしたり、様々な因縁についても、お神の意向を伺うことです。

 心が痛むとかならず肉体が痛みます。肉体が痛むと心はいたみはじめます。しかし肉体が病んでも、心が必ず痛むわけではありません。心身一如であって、身心一如ではないのです。肉体に障害があっても病気があってもそれを受け入れ、何故そのようになったかを知る人が心に傷病を持つことはまれです。それどころか心をさらに豊かなものに変えていきます。このような人にとってはあらゆることが、人生を豊かに教師であるかのごとく映るのです。病気になってもけがをしても、その原因が何かを心に問うのです。原因はすべて己にあります。病気も事故も長い間かけて己が作りあげた「ほこり」です。心のむきです。この「ほこり」を反省して神懐で出直す手法を『神真医学』 (ユニバーサルアプローチ)と呼びます。

《補足説明2》
(1) 心身一如であって、身心一如ではない
晃月師は、心が病めば、必ず身体が病むが、体が病んでも、心が病むわけではないと、常々、おっしゃっていました。

(2) 肉体の障害と病気
肉体の障害と病気があっても、その原因と向き合い、反省して乗り越えることで、豊かな人生を送ることができるといっておられました。

(4) 「ほこり」
次回のブログ「病気の原因 その3」の八柱之大神の「八つのほこり」を参照のこと。

(5) 神懐で出直す手法
「神懐」(かみふところ)とは、この地上(地球の上)のこと。神懐で出直すとは、人生を正しい(お神の意に沿う)方向でやり直すことを指します。
神元への出直しは、肉体的な死を意味します。

(6)「ほこり」を反省して神懐で出直す手法を『神真医学』
つまり、八柱之大神の理合(りあい)を学んで、この3次元の世界で、正しい(お神の意に沿う)生き方でをして、病気を治す方法が、『神真医学』(ユニバーサルアプローチ)ということになります。

1、医学を手法に対する考え方の違いから分けると、次の三ツとなる。
(1) 臨床的な医薬と手術に依存している西洋医学を <メディカルアプローチ>
(2) 民間医療と東洋医学を含めた医学を <ホリスティックアプローチ>
(3) 普遍的な手法である『神真医学』を <ユニバーサルアプローチ>

このユニバーサルアプローチと前の二ツとの違いは、命をどう見るかです。ユニバーサ ルアプローチは、人間は生きなくてはならない存在ではなく肉体は必ず消滅するということを前提に組み立てられなくてはなりません。あらゆる生命にとって根源的に必要な観点は、如何に死するかということであるからです。いいかえるならばどのような人生の有様を日々「おかみ」の前に示すかということです。これが生きることの意味です。

《補足説明3》
(1) 次の三ツ
晃月師は、(1)西洋医学、(2)民間医療と東洋医療の他に、(3)『神真医学』があるとおっしゃり、『神真医学』を世に確立したいと、思っておられました。

(2) 命をどう見るか
肉体はいずれ消滅するが、命を失っても、人間の魂は残るという観点で見ることです。

(2) 如何に死するか
如何に死するかは、如何に生きるかです。
つまり、人生の有様を日々「おかみ」の前に示すことが、生きる意味です。

2、現在医療の現状
現在医療は自然治癒力と免疫力の強化にはほとんど無力です。薬に頼ることは薬が無ければ治癒しない、免疫が生まれないということを意味します。肉体はすべての器官が連携して作られた免疫系です。一つでも欠けると免疫力は劇的に低下してしまうのです。事故などによる救命救急医療のように、薬も手術も自然治癒力と免疫力を高めるという確信がない限り受け入れてはならないのです。
病気に対する投薬と手術は悲惨を高めるだけです。肉体本来の機能に反して肉体を痛めつけてはならないのです。肉体を痛めるということは、神の社を傷めるということです。肉体を薬や不自然な食材は神の社を穢すということです。病んだ社や穢れた社からは神が遠退くということです。現在医療によって治癒しない人々が神を頼って今後とも私たちを訪れます。そして多くは治癒に向かいます。治癒の原因は明らかです。人間の作ったものは人間が治せると同様に、神の作った肉体は神にしか本当に治せないのです。

《補足説明4》
(1) 現在医療
現代の医療は、対症療法なので、自然治癒力と免疫力の強化という意味で、ほとんど無力です。

(2) 薬も手術も
薬も手術も、最低限にしなければならないというのが、晃月師がいつもおっしゃっていたことです。
「喉頭がん」を患い、医者のいう通りに、徹底した手術をした影響で、本来悪くなかった、声帯を失った方のことを、よくお話なさっていました。

(3) 現在医療
「現代の医療では、本当のところ、病気は直せない。病気を治すことができるのは、人間を作った神様だけである。」と、晃月師は、常々、おっしゃっていました。

ヒトというのは三重になっており、先ず中心に魂が霊格を持ってある。それを包むように心が人格を持ってあるのです。一番外側に体すなわち肉体があり、肉体はそれらを入れるコンテナです。従ってこの神からの借り物・預かりものの身にメスや薬で汚すのは神の理に反しています。心は肉体に付随し魂の昇華に触媒します。つまり心によって魂は霊格をあげることも劣化させることもできます。霊格というのは十三段の十三階と聞いております。

《補足説明5》
(1) ヒトというのは三重
晃月神諭には、「人の姿は三重の丸」という言葉があります。
中心に、「魂(霊格)」の丸があり、その周りに一回り大きい「心(人格)」の丸があり、その周りに「体(肉体)」の丸があるというように、三重の丸になっているのが、人の本当の姿であるという意味です。

(2) 霊格というのは十三段の十三階
晃月師は、人間の霊格には、ランクがあり、そのランクは、十三段の十三階、つまり、13 × 13 = 169 もの段階(ランク)があることになります。
人間は、霊格の一つのランクを、上がるだけでも、相当な人生経験を必要とするようです。

3、輪廻転生

私たちは人間になるとき神様と約束した使命すなわち「やくわり」を持っています。約束した「やくわり」に背いた人の出直しは悲惨です。出直しの際に苦しみぬくというのは最大の悲惨です。病院にはそのような苦しみがいっぱいです。

《補足説明6》
(1) 「やくわり」
人間に生まれてくるとき、神様との約束で、使命をもって生まれてきます。それが、「やくわり」です。

(2) 「やくわり」に背いた人の出直し
神様との約束である使命「やくわり」に背いた場合、悲惨な「死」が待っています。

(3) 出直しの際に苦しみぬく
死に際して、苦しみを味わわなければならないのは、人生の悲惨です。
今の病院には、そのような苦しみに満ちています。

全ての生命が輪廻しています。この世界であったときのあり方によって、あの世の段階が決まりあの世から転生する因縁(業)が決まります。現世は前世の延長線上にあり、この世における来世は現世の延長線上にあります。私たちは「おかみ」の御意志に沿って生きない限り、やがてすべては神元への出直しとなって、数十万年におよぶ「霊魂」の彷徨が始まることを知るべきです。かくのごとく知るが故に私たちは懸命に生きるのです。

《補足説明6》
(1) 輪廻
生命の輪廻は、あの世からの因縁をもって、この世に生まれてきて、この世の因縁をもって、あの世に帰る(生まれる)という輪廻を繰り返しています。

(2) 「おかみ」の御意志
人間は、お神のご意思に従って生きない限り、人は茨の道を歩いて、数十万年にに渡って、さまようことになります。
晃月師は、人の道は茨道(いばらみち)と、よくおっしゃっていました。
人間の喜怒哀楽を追い求めるのは、茨道(いばらみち)で、いつまでたっても、茨道(いばらみち)が続くことを意味しています。

私たちは神懐で生かせていただいています。神懐で神々の守りを受けて生きています。しかし神々の加護のない人は、けもの悪神に操られてその運命を嘆いています。かつて親様は、身上(病気)事情(様々な困難)は道(人生)の花(美しき景色)であると仰せになりました。様々な困難を乗り越え厄介な病気をものともせず、生きる姿は感動を与えずにはおきません。このような生き方は出直しによってもたらされるものです。困難をもたらした生き方を続けて困難の克服はありません。同時に厄介な病気をもたらした生き方を続けて病気からの開放はありません。事情は必ず身上になります。身上にはまだ見ぬ事情が現れます。ですから身上事情が現れたときが出直しのときです。この出直しを神懐で出直すといいます。どのような苦しみも悲しみもわが身恨みであるようにと仰せのごとく身上事情は何事もしっかりと受け止め、悪しきときは出直しをもってこれを納消することが大切です。

《補足説明7》
(1) 神懐で生かせていただいています
人間は、神懐(この地上世界、3次元の地球上)で、神によって生かされているというのが本来の姿です。

(2) 神々の守り
神々の守りとは、「八柱之大神」によって、常に護られているところの守りをいいます。

(3) 神々の加護のない人は、けもの悪神に操られて
晃月師は、常々、「八柱之大神」に背く思い、行いをすると、八柱之大神が退き、その穴に、けもの悪神が入り込み、人間はけもの悪神に操られて、病気になったり、様々な悲惨を体験するといわれていました。

(4) 親様は、身上(病気)事情(様々な困難)は道(人生)の花(美しき景色)であると仰せになりました。
親様とは、天理教教祖の中山みき様を指します。
天理教の言葉で、「事情、身上も、道の花」という言葉があります。
それは、次のような意味になります。
病気や様々な困難は、それを克服した時(心の傷ではなくなった時)に、後から振り返ると、それはあたかも人生の美しい景色(道の花)のように見えるものであるというのが、人生の真相です。

(5) 身上事情が現れたときが出直しのとき
病気や様々な困難が人生に襲ってきたときが、人間が出直す(正しい生き方、お神の意に沿った生き方)を選択するチャンスです。つまり、ピンチがチャンスなのです。

(6) この出直しを神懐で出直すといいます。
このような出直しは、肉体の死ではなく、神懐(地上の人間世界)で、改心することを指します。

(7) どのような苦しみも悲しみもわが身恨み
どんな苦しみ、悲しみも、自分自身の原因からくること。

(8) 悪しきときは出直しをもってこれを納消する
晃月師は、悪い因縁を、「納消」(なっしょう)することが、重要だとおっしゃいました。
「納消」(なっしょう)するとは、因縁の原因を納めて、消すことを意味します。
納めるとは、原因を理解して、そのような原因(因縁)を作らないようにすることです。
悪い時は、心からの反省をして、原因を作らないようにするということになります。

病気の原因 その3」のブログに続きます。「病気の原因」も、ご参考にして下さい。