教祖さま

松川晃月師の昇天祈年祭 2016年3月 スピリチュアル
先日、「私の願い」という、この世を去った晃月師からのメッセージを書かせていただきました。 その直後に、Iさんを通じて、次のようなメッセージが伝えられたのです。

松川晃月師の昇天祈年祭 2016年3月

このメッセージは、関西弁なのですが、明らかに、晃月師の口調とは異なります。

ここにも、神仰についての本質が、語られています。

↓===============================================↓ みなに前もいいましたな。 道は、自分の道一つ。 その道がちゃんと神につながっていくかどうかや。ちゃんとしなさい。 ちゃんとつながっているか。 どういうことか、よーーーお、考えないきませんは。 よう考えなさい。 よう考えんのや。(大声) 人間、人やからな、フラフラしてもええんや。 死んで何持っているかだけや。 ほーんまに、ほんまに、神さんとつながりたいという気持ちを持ってるか。 自分のフラフラフラフラフラフラだけで行こうとしてんのか。 そういうものを、見極めんと。 あんたたちの道は、どんどんどんどん先細りや。 広がっている道にな、ちゃーんとならなあかんのや。 先細りの道にのってな、そこ歩いてたってな。 もう先が見えてません。 神が退かんうちに、なーんとか。 よーお、考えてな。 もうそれだけや。ハーア。 ​↑===============================================↑
「道は、自分の道一つ。  その道がちゃんと神につながっていくかどうかや。ちゃんとしなさい。」

この意味するところは、神仰とは、それぞれ自分の道があるということを意味します。
たとえ、同じ神様を神仰していたとしても、自分の進むべき道は、隣の人と同じではなく、違うのです。

「人間、人やからな、フラフラしてもええんや。  死んで何持っているかだけや。  ほーんまに、ほんまに、神さんとつながりたいという気持ちを持ってるか。」

人間、人は生きているから、多少、信念が揺らぐことがあるのは、仕方がない。死んだときに何を一番大事にしてきたかだ。本当に、神様につながりたい気持ちを持っているか。今、それを一番、優先すべきではないか。

「あんたたちの道は、どんどんどんどん先細りや。  広がっている道にな、ちゃーんとならなあかんのや。  先細りの道にのってな、そこ歩いてたってな。  もう先が見えてません。  神が退かんうちに、なーんとか。」

先の晃月師の言葉に、「神さんのことがようわかっていないものが、出てきたんや」という言葉があります。
つまり、この集団の進もうとしている道は、先細りで、広がっている道に、ならないとと、警告をしているのです。
あなたは「門の外」ですよ、という言い方で、共に祈りをしている人を、排除するようになりました。
それでは、先細りになること必死で、先が見えてきません。
神が退かんうちに」とは、もう神が退くぞ、という意味にも受け取れます。

私は、かつて、GLA において、高橋信次先生の愛弟子たちが、次々とGLAを離れていったことを見ています。

松川晃月先生が世を去り、この信仰集団でも、同じことが起きようとしていると感じました。

ある信仰集団に所属していれば、それで救われるということは、有り得ません。
成仏、「アセンション」は、個々の魂の課題です。

特定の宗教教団に所属することなく、特に信仰もしなかった私の母が、神元に出直すことが出来た、つまり、昇天(アセンション)したという話を、「母の死」で書かせていただきました。宗教教団に入っていなくても、成仏できるのです。

宗教教団に属している人たちは、そこに属しているだけで、思考が停止してしまい、当然、救われると勘違いしている場合が多いように見えます。

前の「私の願い」の中に、晃月の言葉として、「大神は、よう考えよ、よう考えよ、といってはる」とあります。

上のメッセージを語っているお方も、「よーーーお、考えないきませんは。よう考えなさい。よう考えんのや。」とおっしゃています。

このメッセージを語っているお方は、「教祖(おや)さま」、つまり、天理教の教祖である、中山みき様であると、私は思っています。

信じられないことかもしれませんが、このIさんには、「教祖さま」もしばしば、登場されていたのです。

上のメッセージは、ただ単にその場所のお祈りに集まってきた人たちだけへのメッセージではないと思います。

天理教団、GLAをはじめ、すべての宗教教団に所属している人たちへのメッセージでもあると思えるのです。

ある宗教教団に所属することによって、救われる人も、もちろん多いと思います。しかし、所属することだけで、安心してしまい、神について、自分の救いについて、考えているようで、考えていない、そういう人たちも、多いと思うのです。 このメッセージは、宗教に入っていさえすれば、安易に救われると思っている人々への警告のように、思えるのです。
私の母のように、何の信仰もしないで、自分の信念だけで、生きていくあり方も、尊いと思います。
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