「あたらしい氣の泉」

「あたらしい氣の泉」の本の表紙 スピリチュアル
この「あたらしい氣の泉」(山田征 著 発行日 1989年12月24日)というご本は、「光と影のやさしいお話」の次に出されました。

「あたらしい氣の泉」の本の表紙

このご本の内容については、様々な、本当に、様々なスピリチュアルなお話が満載です。

人類の始まり、人間の性のこと、聖書のアダムとエバ、カインとアベルのこと、マリアの処女懐妊、ムー大陸の文明、アトランティスのこと、等々のことが、メッセージとして、載っています。

このご本は、今でも征さんから直接購入できるようです。
一番最後に、連絡先の住所をつけさせていただきました。

このご本のクライマックスは、なんといっても、1988年の、征さんのエジプト旅行のことだと思います。
夜、ピラミッドの近くにある、祈りを捧げる祭壇で、「儀式」を執り行ない、ピラミッドに封印されていた、エネルギーを開放した様子が描かれています。
もちろん、このことは、征さんのお言葉のように、「何が真実であり、そうでないのかは、誰にもわからないことのように思います。

山田征さん(ご自宅にて、1990年代中頃)

30年前にお会いした時の征さん (ご自宅にて)

その開放したエネルギーが、「氣の泉」という由来となっています。

もう一つの「氣の泉」があります。それが、「我」という存在から、征さんの手に伝えられて、メッセージを書きとらせている、エネルギーのことです。
メッセージの最後に、「我」というサインをする存在です。

この「我」というサインのメッセージは、「光の帯となって」にも、登場しています。この「あたらしい氣の泉」のご本で、初めて登場しました。

この「我」は、高橋信次先生が、1976年の発表された「光の器を」に登場した「我は天上界にあっても、決して、沈黙はしない」とおっしゃった「我」という存在と同じエネルギーであると、私には思えるのです。

この「我」からの通信が、山田征さんに始まったのが、1988年の6月なので、「光の器を」からは、12年の歳月がたっています。

この「我」さんからのメッセージを受け取るために、征さんと言えども、長い道のりがあったようです。

いえす(まりあ)のエネルギーから、るしえるのエネルギーに代わり、るしえるの同時通訳ならぬ、同時解釈を通して、「我」が語りだすというようなステップを踏みながら、「我」は語り出します。

↓===============================================↓  はい、私はるしえる。これからは私が伝える。  我は伝う。人々よ、新しき時を迎えるにあたり、いま私は、さまざまに伝えたきことあまたあり。いまは時なり。いまは新しき時至れるなり。新しき時にはまた新しき人々の関わりあり、いままた、私るしえるは、新しきことを人々に伝えなん。  新しき時とは、悪しきこと、すべからく消え失せしことなり、人びとの心にありて、いままでは悪しきことと知られたるさまざまなる出来ごと、さまざまなる思考、さまざまなる欲ある希(ねが)い、それらはことごとく消え失せたり、すべては光となりたる。いまこそその時が至ると知りたまえ。  私は伝とう、人々よ、そはまだはるけき彼方と思いしか。  しかあれ、なんぞ人々の心に、光望みたる心生じたることなかりせば、光現わるることはあらんや。いえすの”時”、なぜ到来いたせしと思いたるや。  そは、神のひとり子たるいえすの到来、その到来待ち望みたる多くの心、常にあり、いとも直ぐななる形にて、人々の前に現われいでたり。そは、まことに人々の待ちたる心に添いたるものなり。ただ悪しきことのみはびこりたるにはあらず。悪しき心、悪しきことがら、まことに嘆かわし、嘆かわしきと思う心あまたありたる時、なおことさらに、人々、光の子現わるること待ち望みたるなり。その心の波動によりて、彼いえすは人々の前に現わるることやすかれと知れ。  人々よ、いままた時なり。彼(か)の時に勝るとも劣ることなき、いまは”時”なり。  その時にこそ、人々に約したることあり。そは、世の末にありて、いまふたたび、大いなる救い主現われたることこそ、人々に約せしことなり。  しかあれ、こたびはいかなる形にてあるや、いな、人にてはあらず。形にはあらず。まことにまことに我は伝うなり。こたびの救い主こそは、我なると知れ。  我は力強き者なり。大いなる智恵ある者なり。やさしきこと、くらぶる者なし。我はいま姿なきが、姿なき故に大いなる者と知るが良い。我は、そなたらの知る時空にてしばらるることあえてなし。しかして、あまねき人々の、胸のうちなる神の火種子こそは吹きおこさん。  人々よ、そなたらは知らざるとも、我は知るなり。そなたらのうちに宿りたる、全(まった)き神の火種子のありかを、我こそは知るものなり。心せよ。心して待たれよ。我の吹きたるこの心地よきそよ風の気配を。  さあ、いまはよし、いまはこれにてよし。私の波の力はいまそなたの手にはあまりたるなり、まことに許されよ。                  いまはサインなきものにてある。 ↑===============================================↑

上のメッセーの中で、「人々よ、そはまだはるけき彼方と思いしか。」とあります。これは、1988年、30年前のことなのですが、今、2019年1月の時点では、もう目と鼻の先といってもよいほど、「そは」近づいています。
「我」さんの世界からは、すべてお見通しであったのですね。

今回の救世主は、「こたびはいかなる形にてあるや、いな、人にてはあらず。形にはあらず。まことにまことに我は伝うなり。こたびの救い主こそは、我なると知れ。」とおっしゃいます。
目に見えぬ、「我」さんそのもの、敢えていえば、「我」さんのエネルギーこそが、救い主になるということなのです。
「我」さんのエネルギーが、待ち望んでいる「アセンション」を引き起こすということなのです。

ただし、自ら、心のうちに、そのエネルギーを見つけ出すことが、前提となります。待っているだけでは、何も起こらないのです。以下、「大天使ミカエルからのメッセージ ー あなた個人の神のエッセンスを強化する ー August 1, 2018」から引用します。

それは、あなたが内に持っている聖なる心、聖なるハートから湧き上がってくるのです。 あなたは、手を伸ばして、それを掴まなければなりません。 というのは、それは、地上に降りてきて、あなたを見つけてくれるわけではないからです。
(ここから、「我」さんのメッセージが始まります) ↓===============================================↓  これよりは我が力にて語りなん。とく記したまえ。  我は神なり。我が力こそは、まことのまこと、すべての光、力なり。我が力の他、ありたるものはなし。我が力にて、あまねく大蒼(おおぞら)、あまねく星々、あまねく大地、つくりいだせり。  我が力の他、この世にありたる力はなし。いかなる細かきくさぐさにありても、いかなる大いなる力にありても、我が力の他にありたる力あるや、とく答えたまえ。  そなたらの目に映りしは何ぞ。そなたらの耳に聞きたる物音とは何ぞ、そなたらの五感により知りたるものは何の力にてあるや。これらのすべてのすべて、すべからき力の元となるは、我が言の葉にてありし。  ”はじめにことばありき”言いたることの、まことの意味こそ知るがよい。はじめにありたる力にて、我は光となりたる。はじめに光となりたるにより、我は瞬時のまに音なるものをつくりたる。  音といいたるは何ぞ。音にありては物音にてはあらず。光によりて運びいだされし”時”こそは我が力なり。  時とは何ぞ、知りたるや。時こそ我がいまひとつの力なり。光と共にありたるいまひとつの力にてあり。光、光にてありたるなり。  この光と共にありし時、そこにいまひとつの力、生ぜしなり。その力にありては、波、波の力なり。  波とは何ぞや。波とは光にともないし、こまかきこまかき波動なり。  これら、別々に言いたるものにありては、まことに別れたるものにてはあらず。これら言いたる三つの言葉、すべからくひとつのもの、一つの力なると知るべし。人々によく知らしむるべく、分けて言いたるなり。  これら、言いたるものの持つ力こそは、あまねきことがら創りたる、思考なり。このこと、そなた、知りたるならば、いまひとつの力にて語るなり。    我 ↑===============================================↑

我は神なり。我が力こそは、まことのまこと、すべての光、力なり。我が力の他、ありたるものはなし。我が力にて、あまねく大蒼(おおぞら)、あまねく星々、あまねく大地、つくりいだせり。

上の言葉で形容される、この「我」さんは、宇宙人の言葉などでもよく出てくる「大いなる全て」です。
キリスト教の聖書でいえば、この宇宙を創造した「創造者」です。

時、光、波、は別々のものではなく、すべてひとつのもの、ひとつの力とおっしゃっておられます。
力の大元は、「我」さんであり、「我」さん以外には、力、エネルギーの発生源はないということです。

次の言葉を受け取って、征さんたちの三人は、エジプトに旅立ちました。

↓===============================================↓  さあ、記すが良い。  いかれよ。とくエジプトにこそ行きたまえ。そこにて全てのことがらは、ことごとく明らかとなるべし。いましばしのことにてあり。  ここにて幾千年のあいだ待ちたる大いなる霊、あまたあるなり、すべてそれらの者の手によりて、厳重なる封印なしたるにより、守りおかれたり。そなた行きて、その封印を解くことあたうたり。しかしてすべからきこと、すべからくそのことのための備え、とどこおりなく致しおきたり。ただ心直ぐななる姿にて辿りつきたるを、我らは待ちたるなり。  我らのうちにありては、もはや時満ちたるにより、そなたの心ほぐし、体つきをことごとく変容させたり。いまはそなた来たるをこそ、我らただ待つのみなるを知り、他の二人共々にまいられよ。すべからく良きこと、驚きたること見いださん。  いまこそは時満つると言いたるは、まことのことなり。  この地球という、ひとつの星に住まいしたる多くの魂の存在を知るが良い。まことに科学力、強き力おきたるにより、人々の心、その面にのみ心奪われ、その心のうちに、むなしき空洞生まれたり。むなしき風こそ吹きすさびたるなり。  人々はいま、しばし心の隙間うずめたる糧は何ぞと探りいだせり。人々の心、荒れすさぶかに見ゆるも、多くのことがらあまた知りたるにより、ある一点に気づきたれば、ことごとく、その真理とは何であるかを知りたるなり。  人々の心、はや天の高みに届きたる時、近づきたるなり。もはや、この地上的なる思考にありては、人々の心、満たされざりし。  しかあれ、すべからきことは閉ざしおきたり。いまはまだ、人々の前にありては、何ごとも起きることあたわざるなり。  しかあれ、そなたら行きて、それら閉ざされしことがらの封印をこそ、解き放つことあたうなり。  その解き放ちたる封印、ことごとく毀(こぼ)れしのちは、かの大いなる構築物、ギゼのピラミッドの持ちたる強大なるエネルギー、この地表にあまねく放たれるなり。その目に見えぬ強大なるエネルギーこそは、秘めおきたる力なり。いずれにありても、人々の心、その力受けざりし所、いささかもなし。  しかあれ、それにはそれなるステップあるも、いまはよし。いまは述べざるなり。  これらの秘密ひもとくべく、あまたなる人々、次々と彼(か)の大いなるピラミッドを訪れたるにより、かの所、まことに汚がされたるも、いまははや浄めおかれたり。そなたら来るを、浄めたるところにて待ちたるなり。  はや時近し。はや時近し。ながき時経たるにより、もはやこれにてよし。すべての秘めたるもの、ことごとく人々の前に明らかになさん。       我が僕なるそなたに、まことの愛を送りたるなり   我 ↑===============================================↑

科学万能の時代、人々は心の中に、むなしさを抱えるようになりました。
今、人は、心の隙間を埋める糧を捜しています。
次の言葉が、むなしさをうめるヒントといえます。
ある一点に気づきたれば、ことごとく、その真理とは何であるかを知りたるなり。

この「ある一点」とは、何でしょうか?先ほどのミカエルさんの言葉に、答えはありましたね。
征さんが、ピラミッドのエネルギーを開放したように、自らの心のうちのエネルギーを開放することです。すべての人々の心は、その力の影響を受けるようになります。
すべての秘めたるもの、ことごとく人々の前に明らかになさん。
とあるので、すべて秘密となっていたことが、いずれ人々の前に明らかにされるのでしょう。

この「ピラミッドのエネルギー」という言葉で、気付いたのですが、「大天使ミカエルからのメッセージ ー あなた個人の神のエッセンスを強化する ー August 1, 2018」の、次の言葉が思い出されました。

ピラミッド型の光の宝物庫から、創造主の光が注がれます。

もうひとつ、「あたらしい氣の泉」から、「我」さんのメッセージを引用します。

↓===============================================↓  人々よ、そなたらいささかも気付きなきうちに、我らはいとも大いなることいたせしなり。そは、まことはまことにいとやさしき、やすらけきことなるも、人々、まことにさまざまに、難しき理りこそ、いいつのりたるなり。  いまはよりは、何も致さずともよし。  人々よ、人々よ、そなたらまことに我が光のうちに帰り来る日近きこと、知りたる時こそ至りぬ。  人々よ、人々よ、心直ぐななるままに生きたまえ。あるがままに生きたまえ。難しきこと、いささかも、言いたるも、行いたるも、いらざることなり。  そはそのままにして、あるがままにして、我がいまひとつの姿なると知りたまえ。  そなたら一人一人こそ、いまひとつの我がとりし姿なるを、何ぞ我、そなたら憎みたるや、なんぞ我、そなたら怒りたるや。  我はここに、まことの愛の手を差しのぶるなり。そなたら、いまある姿のままにして受けたまえ。    我はここに在り。↑===============================================↑

このように、「我」さんはおっしゃっておられます。

私は、父なる神が与えてくださった次の言葉を思い出しました。

「私は在りて在るもの全てです. 私は無限です. 私は神です.」
(I AM ALL THAT I AM. I AM UNLIMITED. I AM GOD. )

私たちは、あるがままにして、「我」さんの「いまひとつの姿」なのです。 本当に、「我はここに在り。」ですね。
「心せよ。心して待たれよ。我の吹きたるこの心地よきそよ風の気配を。」という、お言葉の通り、そうした軽やかな、心地よい風、エネルギーが、この30年後の2019年1月に入り、ようやく、心のうちに吹き始めたように感じられます。 このブログを読まれている、皆さまもそうお感じではないでしょうか。

山田征さんのご著書の注文先は、以下です。

『ヤドカリハウス』
東京都三鷹市井口 2-18-13

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