2017年10月1日の月例祭で、びっくりするようなメッセージが、Iさんを通じて、降ろされました。
先日、「私の願い」というブログを書かせていただきました。その続編ともいえる内容です。

松川晃月師の昇天祈年祭 2016年3月

この2017年10月のメッセージは、これまでのものと違う、明らかに異質なものでした。

まるで、親が我が子の有り様を見て嘆き、悲しむようなお言葉でした。

このメッセージは、文字としては公開されませんでした。

なので、あえて、このブログで公開させていただきます。

次のメッセージは、この月例祭に参加された皆さまに向かって、語られたお言葉だと思います。

————————–↓始まり————————–
皆は、私が指し示してきた光の道を、その通り歩いてきたといえるか?
指し示した...ちゃんと歩いて....
自分自身を見つめ....(聞き取れない)
どうしてこんなことになっているのか?
スースー スースー(息づかい)
私の道を...
自分自身を見失っているのではないか!(大声で)
もうそんなことでどうする?
どうして、皆は今までやってきたことが分からない?
どうしてここに座っている?
私は皆が私のところへちゃんとやって来れるようにした。
それなのに、このまま行けば、皆、道を外すではないか。
何で分からぬ? 何で分からぬか?
今からは、もう神は道さえ照らしてくれない。
照らしてくれない道をどうして歩く? ハァ ハァ......
間違って欲しくない(小声)。間違って欲しくない!(大声で)
皆は自分の心に問いかけろ。問いかけろぅ~。ハアー(息づかい)
神はもう一度、機会を与えると....もう一度....もう一度
自分自身を見つめ直す時を...私はいつでも....用意してある...(不明)
———————–↑終わり—————————–

このメッセージで、お神はご自分のご無念を、切々と嘆いておられます。以下は、要約です。

「私は、この月例祭に参加している方たちを、神元に来られるように導いてきた。
 今、皆は自分自身を見失っている。何故、それが分からない。
 このままでは、道を外してしまう。もう一度、自分の心に問いかけなさい。
 もう一度、自分を見つめなおす機会を与える。」

私は、このメッセージを、自分のメモリレコーダーに録音して、自分で文字に起こしました。

このメッセージを見て、とにかく、自分自身のお祈りをきちんとしようと思いました。
始まりの祈り、納めの祈り、お昼のお祈りを、出来る限り、忠実に執り行うようになりました。
それは、今でも続いています。

一方、このままでは、この教団は危ない、何とかならないか、と思いました。

この10月の月例祭のメッセージは、その月の名古屋の常在之講社で、口頭でのみ伝えられました。
しかし、その言葉には、明らかに編集の痕がありました。改ざんといってよいかもしれません。

そのため、お祈りの参加者の皆さんには、お神の嘆き、危機感が、伝わりませんでした。

そして、私は、2017年12月1日の月例祭に参加したのですが、それが最後になりました。

その時、Iさんに降りてきたメッセージが、「メモをとるな、心に刻め」でご紹介した、次のメッセージです。

「我は、皆と共に行きたい。
 皆と共に行きたい。
 今、最後の機会を与える。
 気づかなければ、先には進めない。
 わたしから、手を離すことはない。
 わたしの手を振り切って行くなら行け。
 手を離したら、こちらからは、二度と手を結ばない。」

結局、私はなすすべもなく、この教団を離れざるをえませんでした。

この教団を離れて、一年余りになりました。

今では、Iさんに、こうしたお神からのメッセージが、降りてこなくなったと、伝え聞いています。

もう神は道さえ照らしてくれない。」のでしょう。

「私の願い」の冒頭で、書かせていただいたように、今でも、晃月師から指示された通り、黒川家之祈りを続けています。
それは、「手を離したら、こちらからは、二度と手を結ばない。」と、お神から言われたことを、はっきり覚えているからです。
お祈りをつづけることが、十三神につながる唯一の道であると思うからです。