これは、お釈迦様がお生まれになった故郷であるカピラ城に、帰郷した後、カピラ城ゆかりの多くの人々が、出家をされました。
ある若い王子が、悟りを得るために、出家して、男女の愛を断ち、精進に入ったお話をご紹介します。
人間・釈迦 4 カピラの人びとの目覚め 表紙

人間・釈迦 4 カピラの人びとの目覚め 表紙

先日(3/7)、「愛の心、愛の営み」という表題で、ブログをアップさせていただきました。

その中に、「私はまりあ」と名乗る天使から、次の言葉が、山田征さんに降りてまいりました。
「ふたつの世界の間に立って」(山田征 著)P.115~P.116  
「古今東西、いわゆる悟りを得ることを生きる目的とした多くの行者は、いかにしてそのような感情から離脱し得るか、肉欲を思わず、清浄なる神的波動の中で、どのようにして生を全うし得るか、等と苦労したはずではないでしょうか。なかなか人には、そうたやすく聖人君子とはなり得ないものです。ですから、あのゴーダマ仏陀の悟りの過程にも、そのような苦労話しはしっかりと語られております。  ……    私はまりあ」
 
では、これから出家をしようとする、若い三人の王子たちのお話を、高橋信次先生の「人間釈迦 第4部」から引用させていただきます。
「人間・釈迦 カピラの人びとの目覚め」(高橋信次著 昭和51年11月24日 第1版) P.161~P.166
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 途中三人は、俗世間の生活も今日かぎりでおわりだといいながら、街並みを丹念にみつめながら歩いた。
 三人が町はずれにきたときだった。
 若い娘が三人の行く手に立ち止まって、三人の来るのを待っている様子だった。
 素知らぬ顔をして、三人が娘の前を通り過ぎようとすると、
「キンピラ様、待って--」
 と、その娘がいった。
 キンピラは、なにかに、はじかれたような調子で立ち止まると、二人の顔をみくらべながら、「ちょっとすまんが時間を貸してくれ、すぐ戻るから……」
 と、二人にいい残し、娘の方に走り去った。
 アナンダとアニルダは、たがいに顔を見合わせながら、ニヤリと笑った。
 キンピラは娘を木陰につれてくると、真剣な眼差しで、
「すまんが、もう俺のことはあきらめてくれ、俺は、この通り出家することになったのだ。いい人をみつけて、早く一緒になってくれ」
「いやです。あなたが出家するならあたしも出家します」
「そんなこといって俺をこまらせないでくれ、頼む」
 娘は、その場で、ワッと泣きだして
「あなたはひどい」
 と口走った。キンピラは周囲をはばかりながら、こまったことになったと思うが、どうすることもできない。
 娘は、人を何人も使っているある商家の次女で、キンピラとはつい半年ほど前に知り合った間だった。背は低い方だったが、丸顔の可愛らしい子だった。多感な娘で、キンピラは彼女の可愛らしさに、つい気が乗ってしまい、彼女を連れだしては逢瀬を楽しんだ。
 武家と商家では、つり合いはとれないが、キンピラは両親をなんとか説得してでも一緒になると娘にいい聞かせてきたので、娘もその気になり、嫁ぐ日を、今日か、明日かと待っていたのである。
(中略)……
 二人の間に、長い沈黙の時が流れた。キンピラは、道に待たせているアナンやアニルダが、気になったがこのままで娘のもとを離れるわけにはゆかない。
 なんとかこの場だけでも、話に決着をつけないことにはとキンピラは思うが、上手い考えがみつからず、彼はじりじりしてきた。時が経つにしたがって、娘の涙もおさまり、落着いてきた様子だった。
 娘はキンピラの顔をみつめるとはっきりした口調でいった。
「わかったわ。あたし、あきらめる。あなたの出家を認めるわ。だって、これしか方法がないんですもの……」
 と、いうと、娘は、また泣き出した。
 キンピラは、彼女の両肩にソッと手を乗せると、
「許してくれ。勘べんしてくれ。お前の厚意は、死んでも忘れない」
 彼は、こういってから、「俺は我儘な男だ、この女より、まだ我儘だ」と心のなかでつぶやいた。
 娘は、ようやく自分に戻ると、
「じゃ、さようなら。あたしは、あなたを一生恨んで生きます」
 と、いうと、キンピラの眼をじっとみつめ、あとを見向きもせずに、足早に町の中に消えてしまった。
 日頃の彼なら、これでホッとするのだが、今の彼は、町中に彼女の後姿が没するまで、いつまでも見送り、心のなかで繰り返し彼女の仕合せを願った。
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以上、です。
 
アナン、アニルダ、キンピラの3人の王子は、ニグロダの仏陀の許に、向かっていました。
その前に、ウパリという床屋のところに行き、きれいに頭を剃髪しました。
身も心も、準備万端となったところで、キンピラ王子は、町外れで、付き合っていた娘に出会ったというわけでした。
 
娘に出家を咎められて、出家を諦めるように迫られます。
しかし、決意を固めていたキンピラは、一抹の迷いもなく、娘の懇願を振り切ります。
 
この時、キンピラは、「人間ドラマ」を手放したのです。
今から2,500年前の当時と、現代日本とでは、あらゆる面で、違いがありますが、男女の情ということでは、今も昔も変わりはありません。
キンピラの態度が、あまりにも薄情だと思われる方も、おられるかと思います。
しかし、すべての「人間ドラマ」を手放すとは、まさに、このようなキンピラの態度であるといえます。
山田征さんが、お話会でおっしゃった、「人本来の姿に戻る」とは、究極、そのような覚悟をすることだと思うのです。
「人間ドラマ」を手放すことと、「素直で、優しく、思いやり」のある行動とは、一見、矛盾することのようにみえるかもしれません。
しかし、一旦、自分自身を手放さないかぎり、究極の、「素直で、優しく、思いやり」のある行動をとることは、出来ないと思うのです。