今朝、いつものように、白山神社に参拝に行きました。もう管理人のYさんは、引っ越ししておられません。そのYさんから、Tさんにお酒の小瓶を渡してほしいと言われていたので、小さな月桂冠を持って行きました。Tさんが自転車に乗って、来られてましたので、手渡すことげできました。
 
そこで、Tさんと、熱田神宮か、伊勢神宮か、どこない一緒に参拝に行きたいですね、という話になりました。ひょっとしたら、6月の最終週にご一緒して、参拝に出掛けることになるかもしれません。これも、何かのご縁だと感じました。
在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

 
さて、昨日、M先生と出会って、観音様をいただいたお話をしました。その後、しばらくして、松川晃月先生と出会うことになりました。
 
晃月師と初めてお会いしたのは、1999年12月23日であったと記憶しています。
その日は、木曜日でしたが、平成天皇の誕生日で、祝日でした。
 
その年の秋に、Iさんという方と知り合い、その方が前日の夜に、「とても良い先生がおられるので、是非、紹介したい。明日(12/23)、京都に行くので、一緒に行かないか?」と、少し強引に、電話をしてきました。
 
そのころ、会社を経営していて、得意先の某FM局のサーバをデータセンターに預かる、ホスティングサービスを行っていました。
その12月23日は、超人気アイドルが出演するので、出演した画像をホームページで配信する日だったのです。
 
以前、モーニング娘がFM放送に出演した時、その姿をホームページで公開したら、アクセスが多すぎ、サーバが見えなくなるという事態が起きました。
 
そのため、12月23日は、万全の対策をとるとともに、2人の助っ人が、サーバを常時監視して、何かあったら、対応する予定でした。
 
そのため、助っ人から「黒川さんはいなくても、対応できるからいいよ。」と、いわれていたので、かなり迷った末、Iさんの誘いに応じて、晃月師のお祈りに参加するため、京都に行くことにしました。
 
当日の朝は、名古屋駅の近くのビルに集合して、マイクロバスに乗り合わせて出発しました。
 
そのバスには、6名ほどが乗り合わせて、出発しました。
 
先生のご自宅について、丁度、正午からお昼のお祈りがはじまりました。
 
私は、携帯の電源を、一旦、切って、お祈りに参加しました。
 
お祈りが終って、携帯電話の電源を入れると、何とFM局の担当者から、10件近い不在着信があることが分かりました。
 
慌てて、折り返して電話をすると、担当者が電話に出て、「一時、サーバが、パンクしたのだけれど、問題は解消されたから、大丈夫です。」と、おっしゃいました。
サーバを監視していた助っ人が、いろいろ対応してくれて、何とか乗り切ったようでした。
 
その話を、お祈りを終えたばかりの晃月師に話すと、師は、「すぐにその現場に行って、謝りなさい。もう、事態は収拾しているだろうけれど。」と、おっしゃいました。
 
すぐさま、名古屋に帰って、FM放送の現場に駆けつけてみると、担当者の方が、私を見つけて、「何とかなりましたから、戻って来られなくても、良かったですよ。」と、声を掛けてくれました。
しかし、このタイミングで、京都から戻ってくるか、こないによって、お得意先へ与える信頼感が、全く違うことに気付きました。それは、良い勉強になりました。
このことで、社長業の経験をお持ちの晃月師を、とても信頼するようになりました。
その理由は、普通なら、お祈りの後で、「これから、神様の話をするので、仕事に問題がないなら、話を聞いていきなさい。」というところだと思うのですが、「早く得意先に会いに、名古屋に帰りなさい。」と、薦めていただいたからです。
経営者をしていると、やはり、信仰より、会社と仕事が優先であるべきだと思います。そのことを、晃月師はよくご存じでした。
このことを機に、毎月、名古屋から京都の晃月師の元に、通うようにないりました。
そして、あらゆる行事に、参加できる場合は、参加するように努力しました。
毎月の月例祭、本部修会、業務直会(なおらえ)、そして、2か月に1度の修養会、1年に2回ある修達会などに、出来る限り、参加させていただきました。
今思うと、これは、お神と一緒に過ごした得難い体験でした。
それは、晃月先生がお元気なうちは、通い続けました。よく、お布施もしました。
今から思うと、私が社長業で、独身であったからこそ、出来たことだと思います。
現在でも、晃月師に教えていただいた神仰を、基本に生活をしています。
このブログは、晃月師が世間に知られることなく、あの世に帰られてしまったので、その教えと、人となりを、お伝えすることを、目的として始めさせていただきました。