十三神の神々のうち、「月読之命」に続いて、11神めになる「大戸辺之命」(おおとのべのみこと)のお話しになります。
「大戸辺之命」は、八柱之大神としては、6神めになります。
これで十三神之大神は、残すところ、「大食天之命」と、「面足之命」の2神となりました。
矢田川の近くの大木

八柱之大神 その6 大戸辺之命
(やはしらのおおがみ おおとのべのみこと)

 今月は、育ての大神様です。生きるものが成長するのはこの大神様のおかげです。名を大戸辺之命様と称します。生命の理で言えば、エネルギーの交換作用によって生命を紡ぎ出した魂は、次に、エネルギーを次々につなぎ始め、やがて支えが骨格皮膚という形を取り、内容を充実させるための働き、育てとなります。生命のあるものは、全て育てが働いて一定の定められた大きさまで育ちます。
 
一日で言えば、この大神様がお出ましになる18時からの2時間が育つためには最も大切です。動植物は、一日24時間育っているように見えますが、それ以外の命あるもの、つまり、人間の活動が育つための大切な時間がこの時間です。
 
どのような命であれ、育つために避けなければならない心の用い方があります。それは、高慢にならないと言うことです。己の才に寄りかかっていてはなりません。人を見下してはなりません。育つと言うことをこれほど邪魔するものはないからです。
 
人間の行為の中で、学習するときの最も良い時間・心構えです。予習復習が最も効果あるのもこの時間です。
反省をするにも適した時間です。
 
月々23日の正午から25日の深夜0時にもお出ましになっておられますから、毎月23日の18時から、企業では、月例の反省会をすると良いのです。
 
同様に、毎年9月21日から10月20日までお出ましになられます故、毎年9月23日10月4日、13日などに一年の反省を込めた教訓を得るひとする企業は間違いなく大きくなります。
 
体内の理で言いますと、骨関節の病を得る人は、高慢な心根を持つ人に多く、注意を心根の高慢に向けましょう。
 
今の時代、「おかみ」の存在を認めたがらない多くの人たちの原因不明の病は、この大神様が手を引いた結果起こっています。何事も、原因はあるのですが、目に見えない計測の不可能な原因を認めない態度は、「おかみ」の目には高慢に映ります。
 
高慢があると、霊格の高い人は悲惨です。全ての守護が無くなってしまい、人生の悲惨を全て引き受ける羽目になります。
 
先日も、そのような人がやってきました。その人の霊格は非常に高く、神様が近くに居られるのですが、近くに居られるだけでした。危うく、悲惨な状態に陥っていく手前でしたが、奥様の神仰のおかげです、悲惨をすんでの所で回避できました、
おしっこが出ない、膀胱が痛い、寒気がするというのが自覚症状でしたが、明らかに憑依されていました。憑依が解ける頃になると、号泣が始まりました。大声で泣くのです。号泣が収まると、痛みも寒気も、おしっこが出ないという症状は嘘のように消えました。
 
その本人曰く、何故かわからないが、操られるように泣いてしまった。生まれて初めての経験だ。目に見えない何かであることがよくわかったと。私は、「おかみ」にまた一人、「おかみ」の証明が立ったと感謝しました。
 
 
【解説】
晃月師がこの世を去られて、偉大な指導者を失いました。
しかし、晃月師はあの世から、静かに私たちをお見守りになっていると思います。
 
晃月師がご健在であるときは、どうしても晃月師に依存しがちになります。
 
指導者が偉大であればあるほど、依存してしまい、自立しにくい状況が続きます。
そういう意味で、晃月師の神元への出直しは、我々の成長のためには、どうしても必要なことだったと思います。
 
そうした成長をつかさどる大神様が、この大戸辺之命様です。
 
私たちの意識・魂は、死によって消滅するわけではなく、生き通しの存在であると、いつも晃月師にはお聞かせいただいていました。
ともすると、現在の自分の在り方に満足して、心が小さくまとまってしまおうという傾向があります。
 
私たちは、いつも新しい自分の「ワクワク」を捜して、新しい自分にチャレンジすることが必要です。
新しい「ワクワク」を求めていくことが、成長を続けるポイントになります。
 
つねに成長していこうとする上で、もっとも障害となる心根は、晃月先生のお言葉にもある「高慢」です。
人は高慢になると、人を見下すようになり、他人の意見に耳を貸さなくなります。

私は、「高慢」になり、折角の成長のチャンスを失ってしまった人を、たくさん見てきました。

GLAを創設した高橋信次先生は、指導者ほど、謙虚であらねばならないと説いていました。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という言葉がその戒めです。