先日(5/4)に、長野県の阿智村にドライブをしてきました。なぜか、引き寄せられるように、浪合パークという施設に行きました。
すると、大きな石を積み上げた「磐座」と思われる場所がありました。
子どもたちが登って、遊んでいました。すぐ横には、小さな祠と鳥居があり、いにしえの昔には、祈りの場であったことが偲ばれます。
さて、「十三神 第4回 八柱之大神 その1 国常立之命」のブログの中で、次のように書かせていただきました。これは、松川晃月師に、初めてお会いした時、まず最初に、お教えいただいたことです。
「この十三神之祈りとは、そもそも、古神道である。」
「古事記の「天地開闢」(てんちかいびゃく)の冒頭部分の説明が、不思議なほど、ほとんどない理由は、古神道から、神道に変化するところで、何か情報の隠蔽、改ざんが行われたのかもしれません。」
今回は、古神道について、考えてみたいと思います。
はっきり言えることは、以下の二つの点です。
晃月師より、教えていただいた古神道の参拝の仕方は、「三礼四拍手一礼、一礼二拍手一礼」です。
最初の三礼とは、次の意味です。
三礼の一礼めは、「天之神々に拝礼」。
二礼めは、「地の神々に拝礼」。
三礼めは、「天地中の神々に拝礼」。
四拍手は、天への祈り手(二拍手)、地への祈り手(二拍手)を供える。
そのあとの一礼は、納めの礼。
次の段の一礼めは、自分の心の中の「神社(かみやしろ)に拝礼」。
二拍手は、祈り手奉献。自分に対する柏手。
最後の一礼は、お礼の一礼。
以上のような意味合いになります。
「天地中の神々」の「天地中」の意味は、この地球の神懐(かみふところ、大気圏の存在するすべての神霊(ヒトの魂)、すべて神々を指します。
そのことから、天之御中主とは、全ての神霊、神々の主、最高神という意味になります。
この拝礼には、天之御中主之命への拝礼が、前提となっているのです。
一方、伊勢神宮の参拝の仕方は、「二礼二拍手一礼」です。
二礼の一礼めは、「天の神々への拝礼」。
二礼めは、「そこ(神社)にまします神々に拝礼」。
二拍手は、祈り手を奉献する。そこの神様への柏手お供えする。
最後の一礼は、お礼の一礼。
ということになります。
二礼二拍手一礼には、天之御中主之命という存在が消されてしまっているといってよいでしょう。
四拍手をする神社とは、出雲大社、宇佐八幡などであるそうです。
(注、この拝礼では、「二礼四拍手一礼」という形式であるそうです。)