今日(7/12)は、父親の祥月命日です。そのため、本日正午から、父の年祀之儀を執り行わせていただきます。
神棚 2019年7月12日 父の年祀之儀

神棚 2019年7月12日 父の年祀之儀

父の年祀之儀に当たり、先日、聞いた内観研修の体験談のことを、思い出しました。
 
体験談をされた方は、内観をするまで、どうしても父親を好きになれなかったのが、内観研修で父親についての反省をしたところ、次のことを思い出し、父親に対する見方がすっかり変わってしまったとお話されました。
(引用 ここから)
父親との関係では、ある時、父親が彼をプールに連れて行ってくれました。
彼のお兄さんが一緒に行けなかったので、そのことに不平不満を口にしていたら、父が怒って家に帰ってしまったことを、思い出しました。
そして、自分が自分の二人の娘さんをプールに連れて行こうとして、下の娘さんが駄々をこねたことを思い出されました。下の娘さんに対するしつけだと思い、上の娘さんだけをプールに連れて行かれたそうです。
その時、自分の行動と、彼の父の姿が重なり、父親が自分を愛してくれていたことに気付き、それまで避けていた父親に心で詫びました。このことでも、号泣されたそうです。
(引用 ここまで)
私も、父親によく叱られたので、父親には、あまり良い思い出はありませんでした。
しかし、2016年に、父の年祀之儀をさせていただいたときに、ある方の口を通して、父親が語ってくれた言葉を聞いて、父親を見直すことになりました。
 
内観研修の体験を話された方が、自分も父親と同じことを、子供に対してやっていたことに気付いたという話を聞いて、ある出来事を思い出しました。
 
昔、父がお店を経営していた時に、アルバイトをしていた人に、きつく叱りながら説教をしていたことが、思い出されたのです。
 
父は、ただ、単によくしゃべるだけでなく、調子に乗ると、その口調には優越感が表れて、自慢話に聞こえてしまい、聞いている方は、見下だされているように感じるのです。
素直に言うことを、受けいれられないことになります。
 
父、本人は、全く悪気がありません。
正直、自分はこうした話し方をしたくないなと思うのですが、おそらく、自分も調子に乗ると、同じようなしゃべり方をしているのだろうと、思い当たりました。
このブログも、人によって、単なる自慢話としてしか、受け取られかねないと、考えさせられました。
上から目線にならないように、十分気をつける必要があります。
このハッピーネットのブログは、自分の神仰と体験にもとづいて、目に見えない世界の重要性に、気付いていただければ、という想いで書かせていただいております。
このブログを読まれた方が、何らかの気付きを、得ていただけたら幸いです。
自分が書いているという意識ではなく、自分の守護霊さんの思いを、書かせていただくという意識で、謙虚に続けていこうと思いました。
では、その謙虚さを忘れないように、本日の父の年祀之儀を執り行わせていただこうと思います。