先日(11/17)、「霊能者」というブログを、公開させていただきました。
その「霊能者」の中で、次のように、書かせていただきました。
霊能者が、その霊能を使って、お金をいただくことが、必ずしも、すべて悪いことだというつもりはありません。 その心根を、お神が受け取りになる、つまり、お神がお喜びになるようであれば、問題はないのです。
松川晃月師、1995年に、事業経営を手放し、無一物になる決意をして、神一条のお助けの道に入られました。
晃月師は、そのころ、東京でホテル住まいをして、ある会社の会長をされておられました。
通勤は、自転車であったそうです。
通勤は、自転車であったそうです。
お神は、晃月師に、神一条の生活に入ることを、次のご神諭によって促されました。
八方塞がりはこの魂、 自ら招いているのです。 心言行は、一致するのです。 それ神の道。 神の子でありたいという思いと、 神の子であるというのは違う。 全ては、神の思いが働いてあることです。その思い、 うけとる心なくてはならん。 心が神にありたいというのと、 心が神にあるというのでは、 天と地の差です、 これでうけとれ。 この魂、あの魂 前生の因縁あり。 ここまで教えて行言かくなれば、 一人、苦しむほか道はなかろが、 心の在り方が真に治まれば、 許すとき来る。 (950204)
経営者の仕事をしながら、お助けをする「心が神にありたい」のと、すべてを手放して、無一文になり、神一条に生きる「心が神にある」という生き方では、「天と地の差」があると、お神に告げられたのです。
晃月師は、非常に苦しい決断をされて、すべての事業経営から退かれて、神一条のお助けの道を歩むことを選ばれたのででした。
ここでいう「お助け」とは、「お取次ぎ」のことです。
「お取次ぎ」とは、お神を取り次ぐことです。
「お取次ぎ」には、「事情取次」(じじょうとりつぎ)と、「身上取次」(みじょうとりつぎ)の二つがあります。
※ 「事情」、「身上」については、ブログ「身上事情は道の花」を参照のこと。
「事情取次」とは、企業の経営判断や、縁談などの相談ごとについて、お神にお伺いを立てる(お神の言葉を取り次ぐ)ことです。
「身上取次」とは、ボディワーク(癒し神行)によって、つまり、お神のエネルギーで、病気などを癒しを行うことです。
晃月師は、東京で経営者をされながら、霊能を持っておられたため、その力で、人々のの悩みの相談に乗ったり、病気を治すなどのお助け(お取次ぎ)をされていました。
そのため、一部では、「高橋信次の再来」と、呼ばれたこともあったそうです。
1995年、晃月師は、東京での経営者としての生活を捨てて、生家のある京都府に戻り、お助けを始められました。
そして、先生の「お取次ぎ」によって、病気が治るなどして、救われた人たちから、お布施をされるようになりました。
晃月師は、当初、受け取ったお布施を、自身の生活のために、使ってよいものか、ずいぶん悩まれたそうです。
受け取ったお布施は、お神の力が働いたために、起きた奇跡です。いわば、浄財です。
この浄財を自分のものとして、生活費に充ててしまってよいものかと、迷われたのでした。
経営者の仕事を辞めてしまわれたため、生活ができなくなっておられました。
そこで、お神に、お伺いをたてられたそうです。
お伺いの結果は、「お布施を生活のために、使いなさい。」ということでした。
そのため、晃月師は、財産を所有しないで、無一文になり、人々のお助けをしながら、お布施で生活をされるようになられました。