昨日(10/29)のブログ「2020年10月 諏訪大社、戸隠神社 お祈りツアー2 守屋山からの下山」の続きです。
10月22日に、諏訪大社の本宮、前宮、守屋山を参拝させていただきました。
今日(10/30)は、10月23日に戸隠神社の奥社(おくしゃ)、九頭龍社(くずりゅうしゃ)、中社(ちゅうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)、宝光社(ほうこうしゃ)の五社を参拝させていただきました。
朝、ホテルを車で出発しました。
中社から参拝するつもりでしたが、途中に宝光社を見つけたので、その駐車場に車を停めて、参拝をさせていただくことにしました。
写真で見るとお分かりになると思いますが、長い長い石段が目に映りました。
熟年夫婦と親しくなり、会話を交わしながら、石段を上りつめました。
ご主人の話では、この石段は、190段あったそうです。
社務所で、ご朱印をいただこうとしたら、現在は、コロナ対策で、ご朱印帳に押印する代わりに、押印した別紙をいただきました。
次に、神道(かんみち)を進んで、火之御子社に向かいました。
途中、熟年夫婦が、道を左に折れたので、一緒に曲がったのですが、その道は、火之御子社には通じていませんでした。
車道に降りてしまったので、もう一度、宝光社の駐車場に戻ることにしました。
県道36号線を下っていくと、右手に蕎麦屋さんが目に入りました。
お昼ちかくなり、お腹がすいてきたので、お蕎麦をいただいて、火之御子社に向かうことにしました。
山菜とえびの天ぷら定食と、岩魚の塩焼きをいただきました。
品の良いのお女将さんに、名古屋から来たことを伝えると、次のようなお話を聞かせていただきました。
「昔、名古屋大学の水谷先生が、よくここに泊まりに来られました。 ここは、昔からの戸隠神社の宿坊です。」
水谷先生と聞いて、名古屋大学経済学部の水谷研治教授のことを思い出しました。
水谷教授は、1980年代後半の猛烈な円高を予言された方です。
「僕も、名古屋大学の出身です。」
と、応えると、話が盛り上がりました。
「袖すり合うも、他生の縁。」と言いますが、女将さんとはどこかの過去世でお会いしたように感じました。
そして、火之御子社に参拝しました。
この火之御子社の御祭神は、天照大神様が隠れた天岩戸の前で、舞を舞ったことで有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)です。
いずれ、来てみたいと思っていたのですが、その想いが叶いました。
次に、中社を参拝しました。
「戸隠神社 五社案内」という看板を見ると、中社から奥社まで、約4kmで所要時間が徒歩で60分とありました。
しかし、実際に、歩いてみると、中社から奥社参道入口まで、約60分掛かりました。
更に、参道入口から高い杉並木を通って、奥社に着くまでに、約1時間半も掛かりました。読者の方たちは、この説明に惑わされないようにしてください。
奥社の前で、山田征さんは、御祭神の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の所作をされたことが、「吹く風もまた私である」のご本P.283に書かれていました。
奥社と九頭龍社の参拝を行うと、次の記念の品がいただけました。
五社の参拝が、滞りなく終わり、ホッとしました。
それぞれの社で、
「アセンションに向かう今、社のエネルギー・ボルテックスを、より一層開放していただき、日本から世界に、愛の光とエネルギーを送り出していただきますように」
と祈らせていただきました。