山田征さんは、1988年7月のエジプト旅行の後、1990年4月にペルーのマチュピチュを訪れました。
このマチュピチュの旅は、エジプトでピラミッドに封印されていた、エネルギーを解き放つ、祈りを捧げたことに次いで、とても重要な旅でした。
「吹く風もまた私である」のご本にそのことが詳しく描かれています。
ペルーとマチュピチュの話 「吹く風もまた私である」P.233 ↓===============================================↓ 1990年4月、私は私を含めた7人の仲間で南米ペルーを訪れたことがあります。現在(1992年)の政情不安定のペルーのことを思いますと、やはりあの時行ってきて良かったとつくづく思わざるを得ません。ですから、その時の模様をいまここに私は少しばかり書いておきたいと思っています。私のノート以外のところでペルーのことを書くのは初めてのことです。
……(中略)ここから、P.244 私が自分の意志ではっきりとペルー行きを決めますと、私へのメッセンジャーの皆さまは、ノートあるいは私の声をつかって、けっこういろいろ、とても大げさなことを伝えてきました。つまり、何の為に私がペルーの、しかも”マチュピチュ”といった非常に限定された場所にいくことになっているかという話でした。 手っとり早くいってしまいますと、「天に合図をしに行く」、つまりそれは、この地球以外の他の天体、他の星々に対して、”今こそ地球は、いえ私達地球の上で育まれてきました人間としての魂達は、地球という小さな星の枠を抜け出して他の宇宙、他の星々の仲間入りをすることの出来る準備ができましたよ“と合図をするのだというのです。 まさか!? そんなこと……とわたしでなくても誰だってびっくりするような話です。いえ、びっくりするよりも信じられないというか、とてもばかげた荒唐無稽の話のように思えます。もちろんこんな話が出て来ますには、それなりのいきさつがなかったわけではありませんでした。 そもそも私のノートと言いますものは、初めからまず信じるかどうかといったごく単純なことから始まりました。しかし、この”信じる”といったことはいったい何に対してなのか?といったことをこの頃はよく思います。もちろん、こんな話を信じてペルーに行くとしますと、まず初めには自分に対してです。自分がこんな話を信じられるかどうかなのです。そして一緒に行ってもらをうとしている他の人達に対してなのです。他の人達にはいったい何て言ったらいいのかしら? ということがあります。 まあでも、とにかくこんな話はぬきにして、ごく普通に一般的に考えますと、ペルーでなくてもよその国々に旅するなんてことは、ごくありふれた、なんでもない話なのです。あまり大げさに考えないで、とりあえずはただの観光旅行としてだっていいじゃないか、他のことはもちろん全部、この旅行に花を添えるようなものとして考えればいいわけです。とりあえず私はその線でいくことに致しました。いつか私がこの話を他の多くの人達の前に公開する時があったとしても、まあその時はその時のこと、それなりの言いようがあるだろうとも思いました。
……(中略)ここから、P.263 あのエジプトの時とは全く勝手が違いました。あの時は日本交通公社のツアーでしたし、直接の仲間はわずか三人。しかも三人だけで夜のピラミッドを訪ね、何が何だかわからないうちにピラミッドの近くの遺跡に入り込み、パトロール中のお巡りさんにみつかりひきずり降ろされるのかと思ったら、いつの間にかピラミッドに祈りを捧げる祭壇に連れていかれて座らされ、”はいここでやりなさい”なんてことになってしまったわけでした。ところが今度は行く前から”全宇宙に合図を……“なんて言われ、案内人も何もなしなんです。ただ足の向くまま、みんな黙って私のあとについてきます。 でも、だいたいの当たりはついていました。多分あそこだろうと思っていた処に向って私の足は、ぐんぐん進みあがっていきます。そこは遺跡中、造られた場所では最も高い場所にあり、俗に日時計、”インティ・ワタナ”といわれるもののある高台でした。”インティ・ワタナ”とは、”天と地をつなぐ”という意味があるときいていました。もしほんとうに”天に合図を“というのなら、そこ以外にはないと思いました。
……(中略)ここから、P.264 ”ああやれやれ、着いた!”そんな思いで私は誰よりも先にその台座のような処に腰を下ろしました。別に他意はなかったのです。当然他の人達もその周りに同じように腰掛けてくると思っていました。でも、他の人たちはそこには腰を掛けてはこなかったのです。それどころか妙にしんと静まりかえっています。何かおかしい。みんな、もうその気になっているのかしら?もう少しワーッときてもいいのに……そんなこと思いました。 私は丁度東の方角に向いて座っていました。私はいつの間にか自分が自分でなくなっていることに気付きました。私の背すじはいとも立派にシャンと伸び、腰はきっちりと座り、両の手は胸元に静かに合わせられていました。それからの動きと言葉はもちろんここに再現することは出来ません。 祈りの仕草は東に始まり南に回り、次に西、そして北へと移りました。北に移った時、その仕草は言葉に変わりました。 この大蒼(おおぞら)に宇宙というものが出来、その気の遠くなるほどの宇宙創成活動の中で、この銀河系そして太陽系、その中のひとつとして特別な地球がつくられた話。その特別な星地球の上で多くの他の天体の星々の仲間も共に人となり、人間としていえ人類としての歴史を重ね、人としての学びを重ねてここまでやってきたことなど。多くの他の星々の存在達は、この小さな美しい緑の星、水の惑星の地球を、まるで宇宙の中のひとつの小さな卵のように大事にやさしく守り育ててきた話。この小さなタマゴを守りあたため育ててきたのは、あの偉大なる光、太陽であること。しかしその太陽もまたこの宇宙ではひとつの小さな星にすぎない話。他の天体、他の星々の仲間達は、いつこの小さなタマゴの中でそのヒナが育ちカラを破って出てくることになるのか、それをいまかいまかと待っているとのこと。だからもうそのカラを破ってもいい時が来て、外からもそのカラを破ってくれてもいい時がきたと、全宇宙の皆さまに合図を送らなければならないのです。今日はそのことをしに、ここまできたのです。天にとても近いこの場所で……というわけでした。 ↑===============================================↑
このようにして、征さんによる「天に合図」は、終了したのでした。
この「天に合図」の仕草のあと、マチュピチュは、深い霧に覆われて、視界がなくなりました。
しかし、深い霧の奥に存在していた、巨大な宇宙船を、征さんの心の眼は捉えていたようです。
さて、このマチュピチュを訪れる前に泊まったウルバンバのホテルでは、「あちらの皆さま」から、次のようなレクチャーがあったのでした。
ペルーとマチュピチュの話 「吹く風もまた私である」P.270 ↓===============================================↓ さて、これからご紹介致しますのは、私達がマチュピチュに向かいます前日の夜、宿泊したウルバンバのホテルでのお話です。これは筆記ではなく、私の”声”によるものです。録音ではなく、参加した中の一人がメモしたものです。
1990年4月8日ウルバンバにて
今日は皆揃っていますね。本当に遠い所までよくおいで下さいました。あの喧噪の中での毎日、また高度の町の宿で大変苦しみましたが、それはここに来るまでのプロセスというものありました。 私達は以前からこの彼女(注、征さんのこと)には、今日の旅のことをいろいろお話してまいりました。彼女の中にあったペルーという国、言葉につながるイメージは、もっと異なったものでありました。この国に来てから今日まであなた方が見てまいりました出来事、情景、沃土の少ない砂漠のありさま、あるいは人々の心のあり方、暮らしなど、大変に異なったものであるかに見えましょうけど、やはりこれがペルーという国の現状であります。この地上には、この様に人々の心のまことに荒れはてた場所がふえ続け、富める国と貧しい国の格差も広がりつつあります。 私達は彼女には、明日の夜、あのマチュピチュのある場所におきまして、あるひとつのことをするようにと伝えておきました。いかなるもの、形で行われますのかはまだお知らせしてはありません。しかしそれは、ひとつの、天なるものに向けての合図というものであります。その合図といいますものは、あなた方が住んでおりますこの地球をとり囲む、他に様々なる天体に向けての合図ともいえるのです。 この地球そのものの存在といいますものは、今までにそれなりの大いなる役割りを持ち、様々な事柄を行って参りました。この地球は生きているひとつの”存在”です。この地球はひとつの大いなる”意識”そのものであるといえましょう。 この地球といいますひとつの存在の上で、あなた方は、人類の発生しました時から今に至りますまで、ごく一部の人を除きまして、心、意のおもむくまま、まことに自由勝手気ままに、ありとあらゆるものの利用と破壊を重ねながら歴史をつづってまいりました。その自由であり勝手気ままな生き様の果てといいますのが、いまのあなた方が目にする情景でありましょう。しかし、結果としてそのような事になることは、すでによく知られてきたと言えるのです。 これから先、この地上には、今よりもっと早いスピードで、さらにきびしく荒れはてた様相が進展してまいります。しかし、その事をとおして学ぶ事は多くあります。それに致しましても、それが何に由来するものであるか知らないまま、人としての肉体をぬぎすててゆく魂のなんと多いことでしょうか。 この地上の出来事は、この地球を見守る他の多くの天体の者にとりまして、非常に関心度の高いことばかりです。皆それぞれにこの地球の成り行きをよく知ろうとしています。この地球の終り、結果として、どのようになるのが良いのかという結論はまだ出ていないのです。しかし、この地上での歴史といいますものは、この地球の持っていますひとつのバイオリズム、うねりとの関係で、いったんは中断させなければなりません。その時は近づきつつありましょう。 他の天体からは、それぞれにその天体とコンタクトの出来る者を通して、さまざまな情報が既に伝えられているはずです。他の天体といいますのは、様々なバイブレーションを持ったひとつひとつの星であるともいえましょう。そうした星からの連絡を受けとめることの出来る意識の人々が、あなた方の周辺にも沢山いることでしょう。 私達がいまここで、その”合図”をしたからと申しましても、今すぐに何かが大きく変化してくるという事ではないのです。すべてのことは、すべてのものに先立って行われるものなのです。合図がなされますと、他の天体の様々な動きが急ピッチで開始されます。それは地上における大きな変革、出来事の時に際しまして、速効的に動くことが出来ますようにということであります。 あなた方は目に視えることだけを追いかけてはいけません。目に視えないところで実に多くの者があなた方の為に動きまわっています。たとえあなた方の目にふれる形で、たとえばユーフォーが見えなくても、その事と、実際に無いということとは関係ありません。ひとつの合図がなされますと、すべての星はその事をよくキャッチ致しましょう。 今私達が行おうとしていますことは、この地上にとって、あるいはあなた方人々にとって、過去が何であるかではありません。これから先人々が向かおうとしています未知なる世界にむけての、おおいなる出来事への合図なのです。それがどの様に行われますかは、明日になれば、あなた方がおもわない時行われましょう。あまり神経質になる事はないのです。今まですでに準備してきたことですから、それはなるようにしてなるのです。私達の方で出来る協力は最大限にしてまいります。 今回の旅では、様々なアクシデント、思いがけない感情にとらわれることもあるでしょうけど、一度はこの国にやって来なければならないあなた方でした。きっとこのたびのことを日本に帰って想い出して、生かして下さるとよいと思います。日々行われますことに何ひとつ無駄はありません。 大丈夫です。私達を信じていらして下さい。長い空の旅と喧騒の日々でありましたからとても疲れたでしょうけど、もう少しの事です。 ↑===============================================↑
「あちらの皆さま」は、大変なことを、さらとおっしゃいます。
「この地上の出来事は、この地球を見守る他の多くの天体の者にとりまして、非常に関心度の高いことばかりです。皆それぞれにこの地球の成り行きをよく知ろうとしています。この地球の終り、結果として、どのようになるのが良いのかという結論はまだ出ていないのです。しかし、この地上での歴史といいますものは、この地球の持っていますひとつのバイオリズム、うねりとの関係で、いったんは中断させなければなりません。その時は近づきつつありましょう。」
「この地球を見守る他の多くの天体の者」というのは、さしずめ、「光の銀河連合」の皆さまといってもよいでしょうか。
「宇宙人」のブログに出てきた、ドロレス・キャノン女史が言われているように、彼らの仲間の多くの魂が、現在の地上に転生してきておられるわけですから、当然、「非常に関心度の高いこと」になります。
「この地球の終り」つまり世界の終末のゆくえが、この30年前のこの時点では、結論はまだ出ていないという点も、興味深いですね。
世界の終末のブログにも、「あなた方人々の心の在りよう次第というものです。」というお言葉もありました。
次の言葉は、とても不思議なメッセージです。
「私達がいまここで、その”合図”をしたからと申しましても、今すぐに何かが大きく変化してくるという事ではないのです。すべてのことは、すべてのものに先立って行われるものなのです。合図がなされますと、他の天体の様々な動きが急ピッチで開始されます。それは地上における大きな変革、出来事の時に際しまして、速効的に動くことが出来ますようにということであります。」
この意味は、征さんが行われた「天に合図」は、30年前の時点では、すぐに変化が現れるわけではない、大きな変革、出来事の時に速効的に動くためということなのです。しかし、これは、2019年という、大きな変革、出来ごとが始まるタイミングでこそ、効いてくるという意味に受け取れるのです。
ここの大きな変革、出来ごとこそが、「イベント」といえるでしょう。
さて、この「天に合図」の意味ですが、これは山田征さんのご本が、次々と出版されたことで、地上勤務のライトワーカーたちの、準備が完了したということの「合図」であったのではないかと、思われます。
このメッセージが受け取られて、30年近くがたった今、昨年(2018年)3月11日に、いえすこと、サナンダさんから「壮大なイベントが起きます。」というのメッセージが届きました。これ以後も、もう大丈夫ですという趣旨のメッセージを何度もいただきました。
サナンダさんの最新のメッセージは、こちらです。
「この地上での歴史といいますものは、この地球の持っていますひとつのバイオリズム、うねりとの関係で、いったんは中断させなければなりません。その時は近づきつつありましょう。」
というメッセージは、地球の歴史がここで、一旦、終末を迎えることを意味しています。そのとき、私たちは、それぞれの「あたらしい星」へ翔(はばた)いて、行くのだろうと思います。
そして、次のメッセージが語られます。