月読之命

在りし日の松川晃月師 十三神之祈り
今朝、目が覚めると、左手の人差し指に、軽く疼くような痛みを感じました。
その原因を調べてみました。すぐに、月読之命(つきよみのみこと)様からの警告であると分かりました。
在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

病気の原因 その3」のブログの中に、次のような言葉があります。
(6)腹立ちの心(月読之命) 腹立ちやめよ屋台がこわれるぜ 腹立ちはきままから、おのが理を立て人の理が入らんから腹が立つ。
昨日のブログ「お清めの雨」の中で、次のように書かせていただきました。
「毎週通っているお稽古事を、とりあえず、休むことにしました。」
その教室で、その休む話を切り出したところ、ある幹部の方から、「俺は認めん。そうしたいなら、別の教室に移籍しろ。」と、お叱りを受けました。
 
その方とは、特に仲が悪いわけではないのですが、時々、意見が食い違うことがあり、そうなると互いになかなか後に引きません。
その言葉に、つい腹を立てて、怒りを爆発させてしまいました。
 
その場で、お互いに冷静になったのですが、その教室を休むということには、待ったが掛かった形いなりました。
 
問題は、自分が「腹を立てた」ことです。
 
先日(5/24)「ネガティブな感情」のブログの中で、次のように書かせていただきました。
「この件はこれとして、後を引きずらないようにして、次回、このような場面になったら、感情的ならずに、冷静に対応するように、心掛けようと思いました。」
1週間もたたないうちに、同じ失敗をしてしまいました。何度も同じ過ちを繰り返すのは、よくありません。
 
激しい口論をした後でも、気心が知れている仲で、言いたいことが言えたので、互いに冷静になり、特にわだかまりは残っていないのですが、「腹を立てた」という事実に対して、月読之命様のご守護が退いたため、左の人差し指の痛みとなって表れたのです。
 
病気の原因を知り、「やはり、自分が腹を立てた結果が、現象となって表れたのだ。」と、納得しました。
「撒き餌」に食いついて、腹を立ててしまった自分を情けなく思うと同時に、今後、どうしたらよいかを反省し始めました。
以前(2/9)のブログ「人の言葉、神の言葉 」で、「お前とは、心が通わない。お前の祈りなど、神に届いていないわ。」という言葉の挑発に乗らずに、冷静でいられたことを思い出しました。
その時は、ある程度、非難されることを覚悟して、その場でお祈りをして、何も言わずに帰ってくると、心に決めていたから、冷静でいられたのでしょう。
今回、「休ませて欲しい」という希望が、すんなり認められずに、反論されたことは、予測できないことではありませんでした。 「人の理が入らん」から、腹を立ててしまいました。
これまでも、しばしば、見解の相違から、その方と意見がぶつかることが多かったです。
その方のいう理を、私がなかなか受け入れず、即、感情的になり、相手の理を否定してしまうところが問題です。
これからは、「確かに、そういう考えもあります。」といってから、冷静に自分の考えを話すように心がけたいと思います。
帰りがけに、教室に通う他の方から、「そう自分の思う通りにはならんわ。」といわれてしまいました。 確かに、その通りでした。
ただ、時折り、教室を休ませていただこうと思います。 これから、しばらくは、この教室に通わせていただくことになるので、腹を立てない修行と捉えて、いろいろな対策をしていこうと思いました。
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