私は、松川晃月師と出会う1年ほど前に、名古屋のM先生にお会いしました。
M先生は、東京のKさんによって紹介していただきました。
このKさんは、「残酷な天使のテーゼ」のブログに登場したKさんのことです。
Kさんとは、確か、1993年(平成5年)頃に、初めてお会いしたと思います。
ある時、Kさんから、「宗教に興味はありますか?」と聞かれました。
私が「はい」と答えたことで、名古屋市内にあるM先生のご自宅を、彼と一緒に訪問しました。
毎月1度、十名前後の方たちが集まって来られて、M先生の指導によって、お祈りをされていました。
これを機に、Mさんのご自宅に、毎月、通い始めました。
入って、ある程度の年月が経っている方たちは、「御霊」という社(やしろ)を、M先生からいただいていました。
入って半年くらいした頃、「御霊を授かりたい」と、M先生に申し出ました。
すると、M先生は、即答されませんでした。しばらくして、「あなたには、御霊ではなく、観音様を授けなさいと、後ろの人がいうの。」と、M先生はおっしゃいました。
この時、いずれ、私が、晃月師のところに通うようになることを、予感されていたのだと今となっては、思います。
この時、いずれ、私が、晃月師のところに通うようになることを、予感されていたのだと今となっては、思います。
「それでも、結構です。」と、私は返答しました。
1999年の夏のある日、先生のご自宅に呼ばれました。
そこで、M先生は、社(やしろ)と、きれいな観音様を、用意されていました。
その場で、「生」(しょう)を、凄い気合で、入れられました。
あまりの気合なので、少し驚いたのですが、M先生は、「これで寿命が縮む。」とおっしゃいました。
M先生は、社について、次のような興味深い、お話をされました。
「社の寸法や形について、上の方から細かい指示が降りてきたので、神具店に注文するのが大変だったわ。」
その意味が、17年後、黒川家之祈りが始まった時に、分かりました。
観音様の社の背後に、きれいな形の影が現れています。このような形の影を、計算して作ろうとしても、なかなか簡単にはできないと思います。
お神が、M先生に社の形を指示された上で、このような不思議な影が浮かび出るように、晃月師を通して、神棚のお飾りの配置を、指示されたとしか思えないのです。
この観音様に向かい、今でも、毎日、お祈りさせていただいております。
自宅に観音様をいただいて帰って、居間にお祀りをしたのですが、その時に、M先生から、産土の神社と、熱田神宮と伊勢神宮のお札を、3枚重ねて、社の後ろに置いて、毎日、観音様に向って祈りなさいと教えられました。
指示された通りのお札をいただきに行った神社が、白山神社だったのです。
そこで、「ハッピーエンド」のブログに登場しているYさんの母親のRさんに出会いました。
その時、Rさんと、こんなに深いご縁になるとは、夢にも思いませんでした。
その時、Rさんと、こんなに深いご縁になるとは、夢にも思いませんでした。
M先生が、白山神社とのご縁を作ったといえます。すべては、つながっていたのですね。
M先生には、どのようなお祈りを教えていただいたのか、もうすっかり忘れてしまいました。
ただ、一つだけ、覚えているお祈りがあります。それは、「あちめ」と呼ばれていました。
「あーちーめー……」という言葉で始まるのですが、明らかに日本語ではない言葉のお祈りでした。
ひょっとしたら、古代のヘブル語のお祈りなのかもしれません。
そして、その1999年の12月に、遂に、松川晃月先生と出会うことになります。