先日(5/2)の「縄文土偶とアフラ・マズダ」というブログの中で、「アフラ・マズダも、天之御中主之命も、同じ神を指している。救世主(太陽系宇宙の最高神)である。」ということを、書かせていただきました、
古事記の天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二神を合わせて、造化三神と呼びます。
古語拾遺にあるように、高皇産霊神を神漏岐之命(かむろぎのみこと)として、神皇産霊神(かみむすびのかみ)を神漏美之命(かむろぎ、かむろびのみこと)に読み替えることができます。そして、その後に続く、神世七代(かみのよななよ)の神々も、実在する神々だと思えるのです。
その神世七代の神々は、天理教の教祖様(おやさま)がお伝えになった、八柱之大神様に対応した神々だと思われます。
例として、天理教の八柱之大神の国常立之命(くにとこたちのみこと)という神名は、古事記では、国之常立神(くにのとこたちのかみ)として、日本書紀では、国常立尊(くにのとこたちのみこと)として登場します。
 
天之御中主神、及び、それに関係する神々について、古事記と、日本書紀では、かなりの相違があります。同じ時期に、編纂された書物にもかかわらず、意図的に記載内容を変えているようにすら思えます。
以下のような疑問が、あります。
・天之御中主神は、古事記には登場するが、日本書紀においては、本文には現れないのはなぜか?
・天之御中主神について、どのような神なのか、古事記には、一切、説明がないのはなぜか?
・神代七世の神々は、古事記と日本書紀では、名前、順序が微妙に違うのはなぜか?

『古事記』では、、神世七代の神々の順序と神名を、次のようにしています。

国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
宇比邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
意富斗能地神(おおとのじのかみ)・ 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
淤母陀琉神(おもだるのかみ) ・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
 
『日本書紀』では、神世七代の神々の順序と神名を、次のようにしています。
 
国常立尊(くにのとこたちのみこと)
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
 
古事記、日本書紀は、何らかの理由で、事実を隠しているのではないかと思われます。
松川晃月師が強調されていたことは、「神名自体は、あまり重要ではない。それより、その神が持つエネルギー、働きを知ることが重要である。神名は、人間が、便宜的に付けたにすぎない。」ということです。
 
例えば、清めのエネルギーを持つ神を、国常立之命と名付けて、切るエネルギーを持つ神を、大食天之命と名付けたということなのです。
天理教の中山みき様から、八柱之大神を次のように、教えていただいております。そして、晃月師もこの神名とその働きを、そのまま踏襲されています。
国常立之命(くにとこたちのみこと)は、清めの神様です。
面足之命(おもたりのみこと)は、温みの神様です。
雲読之命(くもよみのみこと)は、出入りの神様です。
大戸辺之命(おおとのべのみこと)は、育ての神様です。
大食天之命(たいしょくてんのみこと)は、切ること一切の神様です。
惶根之命(かしこねのみこと)は、理分け、息吹き分けの神様です。
国狭土之命(くにさずちのみこと)は、つなぎの神様です。
月読之命(つきよみのみこと)は、骨つっぱり、支えの神様です。
この八柱之大神の理(ことわり)によって、私たち人間は、守られています。
詳しくは、「病気の原因」というブログを、参考にしていただけると、幸いです。