先日(6/13)の「産土之儀」というブログで、次のように書かせていただきました。
↓===============================================↓ (祈りについて、)晃月師は次のようなお話をされました。
「祈る心が重要なのだが、祈る心があれば、形をちゃんとすることも必要だ。 いくら形が立派でも、心がなければ、意味がない。 しかし、心と形、どちらも重要だ。」 ↑===============================================↑
この「心と形、どちらも重要だ。」という言葉には、とても奥が深いものを感じます。
お祈りには、「祈り心」と、「祈る言葉」(マントラ、真言)と、「祈りの所作」があります。
「心」と、それに伴う「言葉」と「所作」という「形」のどちらも、重要だということです。
お祈りも、初心で始めたばかりの頃は、祈りの言葉(真言)もうろ覚えで、書いたものを見ながら、ところどころで、つっかえながらのお祈りになります。
柏手の音も、なかなか定まらないものです。
しかし、その人が、神に少しでも届くように、精一杯、捧げるお祈りは、心を動かすものがあります。
最初のころは、正座も長続きしません。祈りの言葉も、所作もぎこちないです。
それが、一年、二年、三年と年が経つに従い、真剣にお祈りをしていれば、形が調い、堂々としたお祈りになってきます。
「心」が、四次元以降の心の世界であるとするなら、「形」は、三次元の物理次元の世界です。
最初は、お祈りの形が調わないものですが、続けていくうちに、いろいろな気付きが得られて、形が調ってくると同時に、心もより高い次元に引き上げられていきます。
こうした「心」と「形」の相互作用によって、私たちは成長していくことができると思うのです。
このことは、こと、お祈りだけには、限らないことだと思います。
最近、「料理のコツ」(秋山 徳蔵 著)という本を読みました。
この秋山徳蔵氏は、天皇陛下の料理番を務められた方で、料理については、神様のような方です。