先日、GLA関西本部、名古屋支部の仲間と、食事会をしました。
そこに、全部で、4人が集まったのですが、皆さん、全て、なかなか個性的な方たちばかりでした。
4人のうちの3人は、過去世の言葉(異言)を語る人です。
食事会に招いてくれた女性が、随分前に、通っておられた正法勉強会の時の録音テープを、聞かせてくれました。
そのテープは、かれこれ、20年ほど前のテープでした。
GLAで正法を学ばれた、男性のリーダーがおられて、守護霊に、別の方に入っていただき、アドバイスなどを語ってもらうのです。
彼女は、その集まりに参加されていて、正法勉強会で録音したテープを聞かせてくれたのでした。
その場が、清まっていて、神様や天使に、守られていれば、とても良い学びの場になります。
高橋信次先生は、講演会の中で、あの世や、守護、指導霊が、実在するということを、証明するために、霊道現象と言って、霊的な現象を起こされました。
守護、指導霊が語っている場に、立ち会っているうちに、影響されるのか、周りの人も、過去世の言葉(異言)が出てくるようになる場合もありました。
いつの間にか、自分の過去世に、通じる道ができる(アクセスできる)ようになるのです。
霊道は、表面意識と潜在意識の間を遮っている曇りが、浄化されてくると、自然に開きます。※ 「潜在意識の開き方」を参照のこと。
表面意識と、潜在意識の間の曇りが、取れれば取れるほど、本来の自分の魂の波動に近づくことが出来るようになります。
ただ、肉体を持っている以上は、あくまで人間としての修行があるので、完全にハイヤーセルフになることはありません。
10%の意識で生活をするからこそ、魂は学びがあるのです。
自分自身が異言を語るようになると、むしろ、霊道現象自体には、興味が無くなります。
それより、肉体を持つ人間として、どこまで愛を表現できるか、愛の行為を実践して行くかに目覚めるようになり、新たな修行の段階に入ることになります。
私は、20歳代後半に、守護霊の言葉を、聞かせていただいたことがあります。
当時、武蔵小金井駅の近くに、内観研修所がありました。
一週間の内観研修を終えた最後の夜、事務室に呼ばれたので、なんだろうと思いながら、部屋に入りました。
すると、指導してくれた先生が待っておられて、「〇〇さんの守護霊さん、語っていただけませんか?」と、私の守護霊に対し、先生の奥さんに入って、話をするよう促されました。
私の守護霊は、「わたくしは、〇〇〇〇の守護霊で、ございます。この方は、...」と、ちょっと訛りのある日本語で、語り出しました。
意外な展開でした。
今でも、その時のアドバイスを覚えているのですが、まだ、結婚する前でもあり、社会経験が乏しかったので、守護霊は、「まだまだ、これからです。」と、おっしゃいました。
こうした守護霊の声は、求めて得るというよりは、日ごろの精進に対して、与えられるものだと思います。
日常生活での努力をしないで、霊道現象だけを追い求めることは、興味本位であり、結果としては、エゴのために、霊能力を求めることになります。
本人が純粋なうちは良いとしても、エゴや欲が出てくると、そこに立ち現れる見えない存在は、守護、指導霊から、邪や魔に変わっていくことがあります。
また、守護霊の言葉を聞いたり、リーディングを受けることは、ある意味、答えを教えてもらうようなことです。自分自身で答えを見つけることの方が、本当は価値があると思うのです。
そのような観点に立つと、霊道現象自体に、興味を次第に失っていくことは、自然なことだと思います。
食事会のでは、私自身の霊的な体験をシェアすることより、自分のふだんの日常で起きたことをシェアする方が、皆さんには興味を持っていただけたようです。
私が、急に仕事が舞い込んできたという話をすると、「それは、とてもいい事じゃないですか。」と、とても、喜んでいただけたことが、印象的でした。
その言葉を聞いて、自分が進んでいる道、方向性が間違っていないと、改めて自信を持つことが出来ました。