今日(5/28)は、黒川家之祈りの日ですが、朝からしとしと雨が降っています。
在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

以前であれば、天気が雨ということで、少し動揺というか、心配したのですが、なぜかそれほど気にならなくなりました。その理由は、いろいろなことが関係しているので、上手く説明できないのですが。

また、ブログを書いて、公開することについても、「休まず書かなくては」という義務感のようなものが、なくなってきました。
 
それより、美味しい料理をちゃんと作ろうとか、自分の家、部屋をかたずけて、より快適に過ごそうというように、考えや行動が変わってきました。
昨夜は、亡き母が使ってきた部屋が涼しいので、掃除して、その部屋で寝てみました。
 
昨年(2018年)の6月15日が、最後の出勤日だったので、完全なリタイア生活も丸1年となります。
生活に慣れてきたこともありますが、生活に良い意味での充実感を感じるようになったことが、大きな変化だと思います。
 
さて、昨日(5/27)のブログ「松川晃月師との出会い」で書かせていただいたように、1999年12月23日に、私は、初めて松川晃月先生にお会いしました。
その数日後に、晃月師は名古屋に来られることがあり、何と、私の自宅にも立ち寄られたのです。
 
先生は、私の家中を一通り、チェックされました。
その時、M先生からいただいた「観音様」を、ご覧になられて、「なかなか良い顔をしている。ええ観音様や。」と、お褒めになりました。
 
そして、ある押し入れの前で立ち止まりになられ、「ここだ。」とおっしゃいました。
 
私は何が何だかわかりませんでしたが、押し入れを開けてみると、中から古い古い社が現れました。
その古びてこげ茶色をした神棚の社は、子供の頃、家の居間の天井に近いところに、祀られていて、時折り、祖父が拝をしていました。
 
「これはお焚き上げだ。」と晃月師は、強い言葉で、おっしゃいました。
お焚き上げとは、お正月に行う「どんど焼き」の行事と同じことです。
 
そして、その古い社をもう一度、押し入れに戻して、お浄め(塩)を打ち、戸と柱の隙間を、ガムテープで封印されました。
「しばらく、このままにしておくように」と、晃月師に、指示されました。
 
どうも、その社には、邪や魔が隠れていたようなのです。
 
「この社を、近いうちに、小牧でお焚き上げを行うので、その時、もってきて欲しい。」と、おっしゃいました。
その古い社が、母の実家と、そして黒川家を祟っていたようでした。
 
父が中耳炎にかかり、何度も手術をしたり、1年の半分、会社を休み寝ていたことの、この社が原因だったのかもしれません。
古い、何の変哲もない社に、そこまでの問題が潜んでいたとは、内心、驚きました。
 
私の祖父は、陶器の絵付け工場を経営していました。
そのころ、豊川稲荷に毎年詣でて、商売繁盛を祈願していたようでした。
 
先日(5/21)、「祈りとは」というブログで、神様にお願いをするのは、誤った信仰であると、書かせていただきました。その信仰に何らかの問題が、あったのかもしれません。
 
随分前に、豊川稲荷に毎年お参りをされている方が、おられました。
その方が、晃月師に豊川稲荷のお札について、晃月師にどうしたらよいかという相談をされました。
その時、晃月師は、「あなたを守ってくれているので、大事にしなさい。」と、お答えになりました。
 
豊川稲荷を祈る姿勢が、重要なのだと思います。
祈りが、神へのお願いなのか、あるいは、神への感謝なのかで、結果が変わるのだと思います。
 
後日、小牧のある空き地で、晃月師によるお焚き上げが執り行われました。
 
そこには、私も含めて、晃月師にご縁を得た方々が、それぞれお焚き上げするものを、持ち寄りました。
その時のお焚き上げで、一番、燃えずに、最後まで抵抗をしていたものは、ある教団の教典(本)でした。
それは、一時、霊感商法として、世間の話題になった福永法源氏の「法の華三法」の教典でした。
晃月師は、「こうした教典には、強烈な念が入っているので、なかなか燃えない。往生際が悪い。」と、おっしゃいました。
法の華に関わっておられた方は、かなりの額のお布施をされていたようでした。
いずれにせよ、間違った信仰によって引き起こされる問題には、くれぐれも気を付ける必要があります。
「触らぬ神に祟りなし」という言葉は、真実ですね。