GLA中京本部の友人Aさんは、11月11日が彼の誕生日であったので、久しぶりに、お祝いのメールを送りました。
何年か振りのコンタクトでした。
高橋佳子講演会 入口

高橋佳子講演会 入口

早速、彼から、「ぜひ、先生の講演会に来てくださると嬉しいです!」という、2019年11月24日の高橋佳子講演会のお誘いメールが届きました。
 
一旦は、人が多い場所は、苦手なのでと、お断りをしました。
しかし、Aさんから、直接、お電話をいただき、彼が、毎日、朝7時から、1時間、他の会員さんと集まって、講演会の準備をされていることをお聞きしました。
特に、彼は、毎日、皆勤賞で頑張られているのだそうです。
 
私はその熱意に、打たれて、次のメッセージを送信しました。
 
「講演会のお誘いをお断りしましたが、少し気が変わりました。
久しぶりに、みなさんのお顔を見るのもいいかな、と思い直しました。
講演会に参加させていただきたいのですが、よろしいですか?
よろしくお願いいたします。」
 
すると、彼は、とても喜んでくれました。そして、チケットを私の家まで、届けてくれたのです。
 
私は、1976年に、GLAを退会しました。
その後、Aさんに結婚式に招待されて、出席した折りに、入会を勧誘されて、2000年頃に、GLAに再び入会しました。
そして、ある出来事をきっかけに、2度目の退会をしました。なので、再々入会というべきかもしれません。
 
その時、退会した原因は、「別れ」というブログで、書かせていただいたことですが、3年前に起きたある事件でした。
GLA中京会館として、6階建ての新しいビル建てられた時のことです。
新本部の開所式に、ある大物政治家が、祝辞を述べに来られたのでした。私は、てっきり、政治献金をした見返りの、よくある広告塔だと思ったのでした。
そのことの事実関係を確かめることなく、退会したのでした。
 
この件は、講演会当日(11/24)に、私の邪推であったことを知りました。
東北の大震災のとき、その大物政治家が、先生と出会われて、それ以来、その政治家とGLAとのご縁が生まれたというのが、偽りのない真実でした。
自分は絶対正しいと思い込んでしまう、私の欠点がもろに出てしまいました。
 
講演会で、Aさんは、私に先生と是非握手をしてほしいと、言ってくださいました。
最近、先生は講演が終わった後に、必ず会員の方たちと握手をされて、会話をされるというのです。
先生の意外な一面に、驚かされました。
 
彼の言葉に動かされて、講演後に先生の周りに集まる人垣に、加わりました。
 
「40年以上前に、一度、先生とお会いして、言葉を交わしたことがあるが、もう覚えておられないだろうなあ。」
 
と、私が言うと、Aさんは、
 
「そんなことはない。一度、お会いした人を、先生は二度と忘れられることはない。」
 
と、おっしゃいました。
1時間ほど待って、ようやく、先生と握手をする順番が回ってきました。彼女は、次の言葉をかけてくださいました。
「待ってましたよ。
 自分のためにも、他の人のためにも、役に立ってください。
 期待してます。」
その言葉を聞いて、1977年頃からずっと抱いていた、先生へのわだかまりが、すっかり解けたのでした。
いつのまにか、彼女の魅力に魅かれて、ファンになっていました。
40年前に、退会した時の先生とは、全くの別人でした。
GLAのリーダーとしての40年が、彼女を大きく成長させたのでしょう。
Aさんへの誕生祝いメールによって、私の新しい扉が開かれた瞬間でした。
講演会場で、ある会員の方が、GLAの会員の数が、日本人の人口の1%になったら、世の中が変わると、先生はおっしゃったそうです。
日本の人口の1%というと、120万人になります。現在は、4万人だそうです。いずれは、そういう時が来るかもしれないと思えるほど、講演会場には活気があふれていました。
アルクトゥルス・カウンシルの言葉ではないですが、今後10年の間に、世界がアセンションしていくとしたら、GLAは、世の中を大きく変える一つの核になると思います。
私は、自分に何かお手伝いできることがあれば、させていただこうと思いました。