昨日(7/19)、いつもの神社に参拝に行くと、ご近所の方が参拝に来られていました。その方とは、しばしばこの神社でお会いします。
神社の社
今年(2019年)の梅雨は、何時になく長いですねと、時候の挨拶をしているうちに、どうゆうわけか、お墓のことが話題になりました。
その方は現在、70代なので、そろそろ終活の世代です。今、一番、悩んでおられることは、自分のお墓をどうしようかということでした。
 
名古屋に、覚王山という地下鉄の駅があります。そこに、日泰寺というお寺があります。
覚王山日泰寺は、日本とタイ国から採った名前です。1900年に、タイのチュラロンコン王(ラーマ5世)から、仏舎利を譲り受けて、その仏舎利を納めるために、創られた超宗派のお寺です。
名古屋の以外の方たちは、この日泰寺の由緒をご存じないと思いますが、名古屋近辺の人間はそのことを知っています。
 
その方は、お墓をつくらないで、その日泰寺に、自分のお骨を納めてもらおうかと考えておられるそうです。
 
日泰寺に、お骨を納めるのには、数十万円のお布施が必要なようです。
しかし、一度、納骨すれば、永代供養といって、永遠に日泰寺で供養をしていただけるそうなのです。年間の管理費は必要でしょうが。
遺された家族にとっても、自分にとっても、それが一番良いのかな?と、お考えのようです。
 
「結局、宗教も、お金になってしまいます。
 仏教、キリスト教、神道、創価学会などの新興宗教、いろいろあるが、結局、お金のことに行きつきます。」
 
と、その方は、おっしゃいます。
 
「宗教は、宗教団体という組織になると、それを維持をするために、お金がかかるので、結局、お金になります。
 私の師である、高橋信次という方は、葬式仏教を否定して、『個人と神との関係で、信仰をするように』とおっしゃいました。それが、一番いいと思います。
 お墓のことは、なるようになるさ、と考えています。」
 
と、答えました。
私は、今、自分の両親のお骨が納められているお墓に、納骨してもらい、子供たちがお参りに来るか、来ないかは、子供たちに任せようと考えています。
未来のことは、どうなるか分かりません。お彼岸やお盆などの折に、母や父など、ご先祖様に墓参してきたように、子供たちが、お墓参りをしてくれたら、それはそれで良し、と考えています。
 
お墓の仕組みは、明治時代になってから始まったことらしく、比較的最近のことのようです。江戸時代は個人の墓はあっても、○○家先祖代々という墓はなかったということを、その方にお話ししました。そして、次のように、お話しさせていただきました。
「よく考えてみて下さい。お釈迦様は、『自分の亡骸は、荼毘(だび、火葬)に付して、残った灰は、在家信者(優婆塞・優婆夷)に任せるように』と、おっしゃって、入滅されました。」
つまり、自分が亡くなった後のことまで、あれこれと悩むなと、お釈迦様は、おっしゃっていると思うのです。
釈迦の入滅後、アショーカ王によって、仏舎利は収拾されて、新たにストゥーパ(仏塔)が立てられて、そこに仏舎利が納められました。
そのストゥーパ(仏塔)が、墓石に立てかける「卒塔婆」の語源になっています。
19世紀にインで発見された、仏舎利の一部が、覚王山日泰寺に納められているというのも、不思議なご縁ですね。
その方は、少し考えられて、「勉強になりました。」と、おっしゃって、去っていかれました。
お墓は、戒名などと同じで、葬式仏教の習慣です。現在、お寺離れが進み、お墓のことを、心配する人は少なくなってきました。
いずれ、アセンションの過程で、そのような風習も、姿を消していくのだろうと思います。