以前、「カルマの清算」()2019/3/6)と「日常内観と反省的瞑想の生活」(2019/9/17)というブログを、公開させていただきました。
実は、カルマを清算・修正するために、「内観」と「反省」は、非常に有効な手段です。
在りし日の信次先生

在りし日の信次先生

山田征さんのご本「二つの世界の間に立って」(一九九五年九月十日 初版)P.125から、引用をさせていただきます。
 この”カルマの清算” “カルマの修正”といった言葉の持つ意味ですが、私達人間の魂が、何回も何回も繰り返し生きてきた過去世のどこかで引き起こし、未解決のままに生を終った時、その未解決を解決に転じる為に、人はまたこの世に生を受けてやってくる。そのように私は理解しています。
ここに出て来る「カルマ」という言葉ですが、征さんはカルマを、主に、悪いカルマを念頭にして、この文章をお書きになっておられるようです。
 
カルマ(行い)という言葉には、良いカルマも、悪いカルマも含まれています。そして、カルマ(行い)には、自分の行いは、いずれ自分に返ってくるという、因果応報の法則が働いているのです。
 
高橋信次先生は、つねづね、次のようなことをおっしゃっておられました。
「悪いカルマは修正して、良いカルマは伸ばしなさい。」
この地上に、何度も何度も、転生輪廻を繰返しているのは、転生輪廻の過程で身につけてしまった悪いカルマについて、清算・修正をするのが、大きな目的です。
そして、良いカルマについては、より良い来世のため、魂の生長のため、さらに、伸ばしていく目的で、転生輪廻をしてくるのです。
 
悪いカルマを清算する、修正するという課題は、なかなか容易な事ではありません。
悪いカルマを清算、修正するために、この三次元の現象界に肉体を持って、生まれて来ても、結果的に、悪いカルマに、悪いカルマの上塗りをしてしまい、地獄に堕ちてしまったり、負のスパイラルにハマってしまうことが多いのです。
 
それを改善・解決する手段は、これまで、このブログで、何度も取り上げて来た「内観」、「反省」であるといえます。
「内観」、「反省」を行う目的は、自分の心(想念帯)を浄化することに他なりません。
 
以前、「罪悪感と恥」というブログの中で、次のように書かせていただきました。
私が学んだ高橋信次先生は、「人間の意識の中には『想念帯』という部分があり、この『想念帯』が不調和な思いで汚れていると、本来の自分の潜在意識に導通できない。守護霊(ハイヤーセルフ)と交流ができない。」と常々おっしゃっていました。
『想念帯』をきれいにするために、「反省をして、『想念帯』を掃除しなさい。」と、よく言われたものです。
「集中内観」に取り組むにせよ、「反省瞑想」を行うにせよ、その目的は、心の中の「想念帯」を浄化することです。
長い長い転生輪廻の過程で、積み上げてきたカルマを清算、修正することは、そんなに容易なことではありません。
集中内観をしたとしても、日常内観を続けていく必要があります。
正法、八正道に照らした反省と瞑想を行うことも、日々の精進に掛かってきます。
内観、反省によって、自分自身の在り方についての問題点に、気付き、目覚めることで、自分の生き方を、勇気を持って、地道に修正していく以外に、近道はないといえます。
カルマを清算・修正は、自分のカルマをよく知ったうえで、短い人生で、何年も、何十年もかけて、取り組んでいく課題なのです。