今日(6/25)の朝、反省すべき出来事が起きました。
信次先生の憩いのひととき 奥志賀高原で
今朝、お祈りするために、神棚の前に坐った時、榊が枯れているのに、気がつきました。
枯れていた榊の枝は、「」というブログで、クローズアップで撮影した、榊の枝でした。
黄緑色でいきいきとしていた若葉が、黒くなり枯れていたのです。
それ以外の榊の枝は、そのままでした。
このたった3日間で、あっという間に、黒く枯れるとは、何か意味があると思いました。
 
「榊」のブログのテーマは、「引き寄せ」です。
「『引き寄せ』は起きるのが普通のこと、殊更、ブログに書くほどのことではない。もっと、重要なことを書くべき。」というシグナルと受け取りました。
 
もう一つ、昨日(6/24)、NHKのFMにSWを入れたら、丁度、詩吟の放送をやっていました。
とても、良い吟詠だったので、再放送の時間(今朝の午前5時20分からの30分間)に、メモリーレコーダーを用意して、録音してみました。
テスト録音した時は、問題なくキレイに録音できていたにも関わらず、どういうわけか、録音がうまく出来ませんでした。
もう一度、別の番組を録音してみたら、キレイに録音出来ました。
 
このことは、「趣味にあまり時間を費やすべきでない。」というシグナルとして、受け取らせていただきました。
 
この二つの出来事をきっかけとして、自分を振り返って見ました。
日常生活を、丸い豊かな心で、過ごす努力を怠っていると感じました。
 
高橋信次先生が説かれた「正しい法」に適った生活を、しているといえるのか?と、自分に自らに問うてみました。
 
そもそも、人間として生まれて来た目的は、自分の魂を丸く豊かに育て、天上界の調和された姿を、この地上界に顕現することです。
 
肉体五官に翻弄されないようにして、本来の神の子の自分に返るため、八正道を基準として、反省と瞑想の日常生活をおくることです。
 
そして、「一日一生」というのであれば、少なくとも、静かに自分を振り返る時間帯を、1日の中で、30分ないしは、1時間なりは、確保するべきだと思い至りました。
 
そこで、午後2時からの午後3時までの時間帯に、反省的瞑想を行うことを日課にすることに決めました。
 
この時間帯は、八柱之大神の理合で見ると、「理分け」(論理的思考、社会性)の神様、惶根之命がご守護されるからです。
 
正見、正思、正午、正業、正命、正精進、正念、正定の八正道を基準として、朝起きてから、夜寝るまでの一日の行動、思念について、チェックするようにします。
 
過去の事件で、思い出されることがあれば、そのことについても、八正道に照らして、見直します。
 
具体的な注意点として、腹を立ててしまうことがあるので、そうなり易い場面では、予め感情的にならないよう心掛けるようにします。
 
もう一度、正法のご縁に触れた時の初心に戻って、「反省のかなめ」「心行の言霊」を読み直してみようと思いました。
高橋信次先生のご著書 「反省の要」「心行の言魂」
この「反省のかなめ」「心行の言霊」の二冊のご著書は、現在は、入手できないのですが、高橋信次先生が説かれた「正法」についての集大成であり、体系的にまとめられたお宝のようなご本です。
 
毎日が日曜日という生活をしていると、ついついだらだらと、惰性で一日を過ごしがちです。
毎日、今日やること、目標をはっきりさせて、一日を大切に生活して行こうと思います。
残りの人生をより有意義に、それこそ、一秒一秒をおろそかにすることなく、暮らしていこうと、改めて思いました。