この2024年1月に、今月二度目となる情報交換会を行ないました。

 

コッペ田島

 

コッペパンを朝食として、頬張りながら、雑談を始めました。

今回、話題に上がったテーマは、2025年7月5日に起こるとされている巨大な災害のことでした。

それは、日本とフィルピンの中間地点を起点として、起きるとされている大きな津波、大きな災害のことです。

2024年1月元日に、能登半島で大きな地震が起きたばかりなのでで、記憶に生々しいこともあり、その津波による災害の話は、インパクトがありました。

その災害とは、’たつき諒’さんの著書「私が見た未来 完全版」に、巨大な災害“大災難”として、描かれています。

 

たつき諒 私が見た未来

 

ブログ「スピリチュアルな雑談 2021年12月」を参照してください。

スピリチュアルな雑談 2021年12月

 

最近、彼女の押しの先生や、多くのスピリチュアルなユーチューバーなどが、2025年7月5日に、“大災難”が起きると、口をそろえて、おっしゃっているようなのです。

隕石がフィリピンと日本の中間に落ちて来ることによって、大きな津波が発生するとおっしゃる科学者の方も、おられるとのことでした。

私もこの本「私が見た未来」を読んだの時(2021年)は、「ノストラダムスの大予言」の時のようなショックを受けました。

この”大災難”によって、ゼウ氏がおっしゃるように、ポールシフトが起きるかもしれないとも考えました。

ブログ「友人としたポールシフトの話」を参照してください。

友人としたポールシフトの話

 

しかし、当分先の話だと思って、現在(2024年1月)では、すっかり忘れかけていました。

この”大災難”で、日本列島の太平洋側の沿岸の1/3から1/4が、巨大な(3.11の津波以上の)津波に襲われるそうです。

これを聞いて、私はすぐに、「そのときは、長野県のある治部坂高原の別荘に逃げればよいな。」と思いました。

私が始めて、治部坂高原別荘を訪れたのは、コロナ禍の少し前(2020年のGW)でした。

そして、実際に現在の別荘を購入したのは、2021年10月でした。

そのため、この「私が見た未来」の”大災難”を意識して、別荘を購入した訳ではありませんでした。

彼女は、実のご両親と、ご主人のお姑さんの世話をする立場にります。

そのため、”大災難”が起きたからといって、家族をおいてどこかに逃げる訳にはいきません。

彼女は、出来ることなら、「大難は小難、中難は無難」の諺のように、何も起きないことを願っておられるようです。

しかし、結局、

「2025年7月5日に”大災難”が起きたら起きた時で、その時になってみないと、分からないね。」

という結論になりました。

私は、この“大災難”が発生した時、どのように車で別荘に逃げる経路については、確認しておこうと思いました。

 

「私が見た未来」の”大災難”について、一つの救いは、”大災難”の後に、”明るい未来”がやって来ると書かれていることです。

この”明るい未来”がやって来るという話には、その後小さなコミュニティが出来て日本人が肩を寄せ合って、平和に生きていくことが出来るようです。

小さなコミュニティは、それぞれの人が、血がつながっていなくても、ご縁のある人たちとつながって構成する共同体のことです。

私は、”大災難”のことより、その後にできる”明るい未来”に期待したいです。   (黒川 記)

 

【おまけの情報】

以下の動画は、情報交換の後に、友人が送ってくれました。

【不良人類から優良人類へ】複数の予言が一致する2025年7月5日に何が起こる?

 

以下は、自分が見つけた関連する動画です。

【ゆっくり解説】2025年7月に起こる日本最大の危機!?世界中の予言が一致!?

 

以上、です。