昨日(R5/4/19)から、別荘に来ています。

 

春の治部坂高原の別荘

 

今日(R5/4/20)の朝、午前9時の気温は16度で、まるで夏のような暖かさです。

はじめて、この治部坂高原の別荘地を知ったのは、4年前(2019年)のGWでした。

自分が会社を経営していた頃、勤めていたネパール人の元社員とドライブに来たのが、最初でした。

なぜ、治部坂高原に来たかというと、星が綺麗な場所として、阿智村がよく宣伝をしていたからでした。

阿智村の治部坂高原には、’浪合パーク’という星空を観察するための施設があり、そこを見学した後に、すぐそばにあった治部坂高原別荘管理事務所に立ち寄ったところ、はじめて、別荘地があり、中古の別荘が売りに出されていることを知りました。

この別荘を購入しようかどうか、迷ったのですが、一昨年(2021年)、この別荘を購入する決断をしました。その時、背中を押してくれたのは、ゼウ氏でした。

動画「2021年7月23日 ゼウ氏からのメッセージ 〜引越〜」(2021/07/23)を参照してください。

 

このYouTube動画の中で、今、自分が住んでいる土地の歴史を調べて、その土地(地盤)が安全か?を調べることを、ゼウ氏は勧めておられます。

今、私の別荘が建っている場所は、安全なところです。

そのころ、緊急放送がいずれ行われると思っていて、その緊急放送の時には、大きな混乱が起きると予想されるので、別荘をその’シェルター’にしようと思いました。

ブログ「シェルター」(投稿日 : 2022年3月21日)を参照してください。

シェルター

 

ただ、この別荘と名古屋の自宅の二拠点生活を始めると、慣れない様々なトラブルが発生しました。

例えば、別荘は、冬には零下15度にまで、気温が下がるので、水道管などが凍結して、破裂する等のトラブルです。

さて、緊急放送の情報をネットで追求して、特に、石川新一郎さんのブログを追いかけているうちに、GESARAや、GCR/RV、ベーシックインカムのことを、このブログで発信するようになっていきました。

このハッピーネット・ブログを、2018年7月に立ち上げた当初の目的は、宗教や宇宙人などのスピリチュアルな情報と、アセンションが大きなテーマでした。

ブログの方向性が変わった一つの理由は、‘緊急放送’が、アレンションの一部であると知ったためでした。

それは、ブロッサムグッドチャイルドさんの光の銀河連合と、石川新一郎さんが、つながっていることを発見したからです。

ブログ「3つの機密解除 石川新一郎チャンネル」(投稿日 : 2021年1月10日)を参照してください。

3つの機密解除 石川新一郎チャンネル

 

光の銀河連合さんがおっしゃった’3通の封筒’を石川新一郎さんが、持っていることを知ったことで、’アセンション’と、石川新一郎さんがおっしゃる’緊急放送’がつながりました。

石川新一郎さんも、最近、しきりにアセンションという言葉を、使われるようになりました。

全ては、つながっているのです。

そして結果的に、自分が会社を経営していたころ、お付き合いをしていた人たち、高校時代からの友人たちから見ると、まさに’とんでも情報’を、ブログで発信し続けることになりました。

先日、ゼウ氏が、4月23日にYouTube動画を配信するということを、以下の優花さんのYouTube動画で知りました。

「宇宙情報まとめ① 〜 再確認するタイミングです 〜 / 優花 スピリチュアル ゼウ氏」(R5/4/16)

動画「宇宙情報まとめ② ~ 首都移転 / シェルター / エリザベス女王 / 女性天皇 / 女性性のクニヅクリ / 自由意思と責任 ~」(R5/4/18)

動画「宇宙情報まとめ③ 〜 避難所 / 直面する壁 / 外国人の流入 / 祈り / ユダヤのルーツ / 鶴と亀の伝承 / 三種の神器 ~」(R5/4/19)

この動画の中で、ゼウ氏は次のようなことを、おっしゃいました。

 

2022年8月から活動してきたことが、2023年4月で終わる。

 

この言葉を、自分の行動に当てはめてみますと、丁度、石川新一郎さんが、緊急放送のイベントが、間もなく始まりますと発信しながらも、何度も先延ばしになっていくという状況が、昨年(2022年)のお盆の8月ころから、始まりました。

このゼウ氏の言葉は、いよいよこの4月、本当にイベント(デクラス、情報開示)が始まるという’ゼウ氏’流の表現なのかもしれません。

4月23日のゼウ氏の動画が楽しみです。

4月22日は、ユリウス暦で、キリストの復活を祝うイースターのお祭りの日(4月22日アメリカ時間)に当たり、デクラスが始まる日の候補にあげられています。

ちなみに、それは、日本時間では4月23日になります。   (黒川 記)